土曜日の居酒屋の雰囲気をわたしは知っているつもりだった。
こういうお店の店員ってすごく元気が良いけど逆にそれが演技っぽくてステレオタイプに寄って行っちゃってるように見えるタイプか、お酒飲めればいいんでしょ? みたいな感じで特に頑張らずダウナー気取ってるタイプのどっちかだと思う。今日の店員は後者で、末尾の母音を長く伸ばす喋り方がいやらしい。「土曜日なのでお時間2時間制になりますがぁ?」と言われたわたしたちは互いに顔をちょこっと見合わせた後に大丈夫ですと伝えて席に案内してもらった。四人一組のテーブル席の並びの奥、靴を脱いで上がる座敷のゾーンには広めに作ったテーブル席がいくつか、すだれで簡単に仕切られて用意されていて、わたしたちは一番奥の四人席に通された。
わたしは土曜日の居酒屋の雰囲気を知っているつもりだった。でもそれは例えば渋谷、例えば新宿、東京じゃない場所だとどうなのか知らないけれど、その人にとっての任意の都会でいい、そういう場所でのことだったのだ。違いがあることにその場で初めて気付いた。サラリーマンが都心から寝る為だけに帰って来るような急行通過駅に用意されたチェーンの居酒屋は、子供とマダム達で溢れかえっていたのだった。
「なんか子供多くない?」
彼女は不満を言うような口ぶりでぼそりと呟く。居酒屋に子供がいるということに慣れないわたしは、多い、よりもむしろ「いる」ということ自体あっけに取られてしまい
「土曜日の居酒屋ってこういう感じになるんだね」
などとただただそれだけの意味しか含まない感想を漏らした。とにかく空間に男がいない。この女たちは仕事で疲れたパパをほったらかしてママ会でもしているのだろうか。むしろパパにとってはその方が気楽なのだろうか。この中にパパのお給金でお酒を飲んでいるママはどれくらいいるのだろうか。そんなことを無意識に考えてしまうような風景だった。
半年くらい前、地元でとても求心力のある友人と再会した。他人を自分の足の向く先へ巻き込んでいくパワーがあり、みんなの足先を揃えることも得意で、それでいてその作業に強引さもなく、場にいれば自然と台風の目になるタイプの男だった。地元の友人というのは特別に誘い合わせていなければ進学だの就職だの様々なタイミングによって疎遠になるもので、会うことにマイナスの気持ちがあって顔を見なかった訳ではないから、偶然再会した後にはまるで中学校時代に戻ったかのように楽しい会話が出来た。
それからわたしは彼を経由して様々な旧友たちと再会した。みんなほとんど成人式以来、酷いと中学校卒業以来だったりもしたが、義務教育を終えて十年近く経った大人のみんなとの再会は素直にとても楽しくて、自分が(あるいはみんなも)まだまだ年齢だけ重ねた子供であるしこれからもしばらくはそうであることを実感して、そのことも何だかすごく嬉しく思えたし、でもやはり仕事の話をする時などはみんな大人になったなという気持ちも湧き、懐かしい気持ちがまだ残っていることと、その時には無かった立場や責任を持った存在になったのだという実感、そういう二つの刺激が混ざり合っていて、とにかく旧友との再会には心を躍らせるものがあった。
彼女とも彼を経由して再会した。
席に着きおしぼりを貰うとすぐに「とりあえず生を二つ」と彼女は呪文のように言った。店員が立ち去ると彼女はわたしの近くに並べてあった灰皿を一つつまんで自分の方に寄せ、トイレタリーな用品を入れそうな小さなポーチからタバコを取り出して火をつけた。
彼女とこうして二人で飲みに行くのはこれで二回目だったが、そのいずれもわたしが彼女から誘いを受ける形だった。悪い意味で慎重な性格のためか、基本的にわたしは誰に対してもそうだった。どうしても「相手がわたしを求めている」という体裁がほしい。自分から相手を誘ったとして「相手がいやいや誘いに応じていたらどうしよう」がある限りわたしは潰れてしまうから、彼女から明日暇? と言われた時には二つ返事で了承した。相手から求められることは素直に嬉しいと思うし、また彼女も中学時代は比較的仲良くしていた方の友人だったから、大人になってもそのような関係が続いていけばいいなと考えていたのだった。
ただし何故今日呼ばれたのがわたし一人なのだろうという気持ちもあって、それは過去一度の同席経験から察するに、彼女は何かわたしに相談事を持ちかけたり、何らかの回答を求めるような投げかけをしたりするのではないか、そしてそういう話をうんうんと言って聞いている、主張の少ない大人しい人間が必要だったのではないか、そんな気がしていた。わたしだってもちろんわたしのことをみんなに知ってもらいたい、わたしの気持ちを理解してほしいという気持ちが無いわけでは決してない、むしろそういう気持ちが大きい方の人間だと思うけれど、ただそれが苦手でどうしていいかわからないだけで万年身も心も聞き役一筋って訳じゃない。そういう色々な思いがあるけれど、結局のところまあ別に何でもいいかという気持ちによって今日はやってきた。彼女とも別に積極的に疎遠になりたい訳じゃ決してない。
間もなくビールはやってきた。お疲れー! と周りのマダムに負けないように声を上げ、グラスを鳴らした。
「ああ、もう私毎晩の酒が救いだよ~」
「ハハハ、そんなの悲しいね」
男らしいというよりもおじさん臭い雰囲気でビールを飲む彼女は本当にその言葉通りの意味でお酒が好きなのだなと思った。ビールのうまいまずいは正直わからないが、別に美味しくもなければまずくもない、ただ酒であった。でもこの後何か、わたしが予想する彼女からの議題が何かしらあるのであれば、飲んでおくべきだなと思って飲んだ。
ほどなくして、今日の議題は「仕事」であることがわかった。正直「男」とかだったらどうしようかと思っていたので助かったと思った。
彼女の悩みは仕事が大変であるということもさることながら、自分が女性であるということの為に男性よりもやさしく扱われてしまうというところにあった。自分は自分の興味を持てる業界でもっと頑張って仕事がしたい、もっと泥臭い仕事だってやってみせる、でも自らが女性であるということが周囲の人間に遠慮を植え付けてしまって、任せてもらえない部分があるという内容だった。わたしは彼女とはまったく異なる業界に勤めているし、職種だってかけ離れているから、正直男女差をあまり感じたことがなくて、だからわたしにはない視点の悩みだった。そしてわたしはそれをうんうんと言って聞いていて、ただそれって真剣に悩んでいる相手が答えを見つけられてないのだから、今初めてそれを聞いたわたしが「こうすればいいんじゃない?」なんて言える問題ではないということくらいはわかっていたし、そもそも答えも無かったので、だから自分のやりたい仕事に就いたんだからまだそれの輪郭を知るまで諦めるのは勿体ないとか、自分と違ってやりたいことをちゃんと自覚していて仕事を選んだのは偉いとか、そういう問題の本質の周囲を囲んでいる薄い層のことを褒めて、褒めて、褒めたのであった。
こういうことが、相手を喜ばせるのかわからなかった。わたしの悩みを誰かに打ち明けて、でも頑張ってて偉いよ偉いよと言われたら、わたしはそれを嬉しいと思うのかわからない。でもなんだか、自分の悩みを誰かに打ち明けたいタイプの人は、何でもいいから相手のリアクションが欲しいのではないかとも思った。
二時間なんてとっくに過ぎたが店員がラストオーダーを取りに来ないことぐらい分かっていた。こんな地元のさびれた飲み屋が二時間で席を空けなくてはならないなんてちょっと考えにくい。ただ彼女の仕事に対する思いを聞き続けているわたしは、その二時間コールをちょっぴり心待ちにしていたりもした。読み残した少女漫画のことを考える。少女漫画って詩人の世界だと思う。「ワルツを習うようなゆっくりとしたテンポで」なんて言葉でこれから歩み寄ろうとする男女を飾った場面は痺れた。金曜日に一巻から完結巻まで買ったあの漫画が読みたいと思った。
大学時代は文学にかぶれて、生きるとは死ぬとは、男とは女とはみたいなことが書いてある小説をたくさん読んだ。今でも自分が生きていくことと死ぬこと、またそういう営みをしていく存在であるところの人間の、その男と女の違いみたいなことをよく考える。でもそんなのは文学なんて言ってしまうと堅苦しい感じもしてくるが、単純に言えば男って○○だよねとか、女って××だよねみたいなそういう俗っぽい内容であると言っても間違いではないような気がしていた。そういう意味で言うと女って悩みを共感してもらうのが好きで、自分なりの理屈を自分なりの言葉でもっていて、それでいてそういう思想に対して真剣で、他の女とそれがぶつかった時にはしっかりと闘わせて白黒つけたがるような生き物であると思う。歴史的に見ても「男だから可」「女だから不可」という事柄がきっと多かっただろうし、男よりも物事を良く言うと真剣に、悪く言うとねちっこく考える生き物になるようになっているのではないかという気がする。だから何と言うか、上手く主張することが出来ないわたしにとって、とっても単純に、色々な補足をそぎ落としてシンプルに言ってしまうと、女ってめんどくさいなという思いを持ってしまっていたのだった。その思いが加速していくのを感じた。
彼女が自分ばかり喋っているということに気付かないように適度にわたしの言葉も混ぜて場を作った。彼女は愚痴を言うのも疲れたのか家族との過ごし方とか旅行に行きたいこととか映画を見に行こうという誘いとか色々なことをわたしに喋った。わたしはその全てにうん・はい・イエスの意味の言葉で答えた。あくびを抑える努力を怠ったりもした。彼女はしきりに土曜日は最高だなー! と言ったが、わたしはもう時間的に終わってしまいそうな土曜日のことを行ってしまうのかと偲ぶような気持ちでいた。
わたしは何に関しても受け身で、自分で選ぶ、選んだものに対して努力をするということを怠ってきた自分の人生のことを考えていた。わたしは何をどうすれば幸せなのか、そんなことがわかっている人はいないかも知れないが、ぼんやりともその形を把握出来ない今の自分は欠陥のある人間だと思った。本当は彼女よりもわたしの方が悩みを告白すべき人間であるような気がした。彼女は自分の悩みをわたしに話して、とりあえずこの休日は満たされたのだろうか。わたしは彼女の話をうんうんと言って聞きながらも、ずっとわたしのことを考えていたのだった。あの漫画の続きが、やはり読みたくなった。
その内彼女はわたしと彼女の共通の友人をこの飲み屋へ呼び出した。彼女は既によそで飲んでいて、その場からこちらへやってきたので端から飲酒後の形振りであった。時間は既に0時を回っており、マダムも子供も周囲からすっかり姿を消していた。この後三人で次の店だな、と思ったわたしはスマホから、読みかけの少女漫画の作者の名前で検索をかけ、持っていないタイトルの漫画をみつけて手早く注文を済ませたのであった。詩人の世界、花弁が舞い散るあのいやに綺麗な世界のことを考えていた。
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大学時代は小説を書いていました。こんな感じの文章と内容で書いていました。「わたし」って書いたのは主人公の性別を隠したかったからで、読んだ人はどんな印象を受けるだろうと気になります。久しぶりに小説が書きたくなった。