2014/11/18

自己啓発セミナーに漂う精液の香りの件

 昔読んだ重松清の小説で、家族全員でグラスを合わせて「乾杯!」と言ったらなんだか「完敗」と言ったようでみじめな気持ちになったという書き出しのものがあったことを思い出す。当時も今も同じことを思ったが、少々強引な気がする。会社のエレベーターが5階で止まる度に女性のアナウンスで「5階です」という音声が流れるが、これが僕にはいつも「誤解です」と言っているように聴こえて、お前はどのような件について弁解しようとしているのだという気持ちになる。僕が勤める会社のオフィスはビルの7階にあるが、5階で人を拾う時、僕は重松清の小説のことを思い出す。今日は5階で止まった。
 2016年の4月に社会人になる予定の学生に対する企業説明会は、その開催が許される期日が従来よりも大幅に後ろ倒しになると新聞で読んだ。妹がこれにあたるので大いに心配であるが、就職を希望する同年代の学生全員が同じ条件であると思えばどうということはないのかも知れない。
 近頃その妹から僕の就職活動はどのように行ったのか、準備すべきことは何か、どのように企業を選ぶべきか、そういったことを質問されることがある。聞かれればもちろん答えるが、こういうことはむしろ望まれていないにも関わらずつい言いたくなってしまうことのように思える。要は自分の成功体験の共有、こんなに気持ちの良いことはあるだろうか。
 僕は大学4年生の5月に就職活動を終え、それから翌3月までの数カ月間、人生の夏休みとも呼べる長い長い、そしてとても短い休暇期間を体験した。その時僕は自分よりも年次が下の者に対し、いかにして自分が内定を獲得したかということをあえて我慢して言わないようにしていて、そんなこと誰も求めていないことをわかっていたから、だからあえて言わないように気をつけるということをしていた。ゼミナールの合宿などに参加し、後輩の前で挨拶をする機会を与えられた際には、○○という××業界の会社に入社する予定であり、就職活動関連の質問があれば気軽に聞いてほしいということを言うまでにとどめたりもした。自分の成功体験の共有、これはよく自慰などと揶揄されることではあるが、自慰は比喩でもそのままの意味でも気持ちが良いものであって、それは認めざるを得ない。僕は自分の成功体験を自慢したい。
 自己啓発セミナーの講師の自慰はかなりヤバい。
 自己啓発セミナーの講師というのはつまり自分はなぜこんなにも生き生きしているかと言えばこのような生き方を実践しているからであり、自分に従えば自分のような人生を歩むことが出来るということを発表してお金をもらう職業のことであって、これはもう最悪だ、自慰ではなく他慰である。これの最悪なところは自慰は自慰であるというところで、あくまでセックスではない、受講者は講師のステージまで上がっていない、二人はまぐわっていない、例えるならば講師の精液によって育つ植物のような存在が受講者であって、この関係性がかなりヤバい。ヤバいヤバいと足りない語彙で表現する他に何と言っていいのかわからない、色々な意味でこの職業がヤバいのだ、どうなっているのだ。ということを今日の仕事中に考えていた。今の上司がこの手の自慰をついやってしまうタイプの人間であり、大人とはどういうことなのだという考えに至る。新聞は色々なことを教えてくれて、何かの会社が何かのセミナーを行うことが書いてあったりもした。ヤバいと思ってブラウザを閉じた。新聞の購読は電子版に限る。