2015/06/21

シナモンとニッキはほぼ同じ件

 スイカがすごく好きなのは、夏しか食べないからかも知れない。うなぎがすごく好きなのは、高くてあまり食べられないからかも知れない。その理論で言うと、僕は白飯が嫌いかと聞かれれば、別にそんなことはないので、だから食べる頻度は関係ないのかも知れないが、例外なんてものはどこの世界にもあるもので、スイカとうなぎだけは、ということを考え出すともう何が何やらなので、とにかく僕は毎日のようにスイカやうなぎを食べたことがないからこの件については何とも言えない、とにかく僕はスイカとうなぎが好きなのである。好き嫌いはあまりない方だと思う、もとい嫌いなものが少なくなったと思う。辛いものも食べられるようになったし、レバーもまあいける、セロリは結構おいしかった、巻貝の先っぽの黒いところもまあ好きな味ではないがお酒と一緒だとなんだか風情がある感じ。唯一無理なのは生の玉ねぎ、つまりはオニオンスライスである。あのシャキ感がだめ、鼻を通る酸味がだめ。これだけは昔から変わらない。
 日ごろは短針と長針がてっぺんに重なるタイミングを気にしながら無駄に残業を繰り返し、じっと手を見る、それはまあ仕方がないとして最寄駅に着いたらコンビニでカロリーを調達、このカロリーという表現が絶妙で、つまり生きるエネルギーとしての飯を調達して帰るような生活で、コンビニというのはそういう場所であるので、予定がない週末は母の作る健康的な飯を食らいに実家へ戻る、いやいや僕は長男である、もちろん実家の両親や妹のことが心配なのである、それはもちろんもちろんだ。
 正午を少し過ぎたころにただいまと言うと、母が気の抜けたような声ではあいなどと返す、僕が今日帰るということを誰にも連絡していない。車がないので父は出掛けている、もしかしたら母も一緒にと思ったが母は家にいた。妹は土曜日のこの時間大学へ行っていることを既に知っていた。
 急に来たので食べものが何もないと言うが、金曜日はカレー曜日であるということを知っている。冷蔵庫には案の定カレーとゆで卵。これで十分である。夜は何が食べたい? と聞かれたので、貧血気味な妹のためにレバーを食わせよと言った。僕はレバーが食べられるようになった。
 僕がカレーを食っている間に母は近所のスーパーまで買い物に出かけた。土曜日の昼下がりの心の安らぎ、それにぴったり寄り添う内容の薄いテレビ番組、しばし月曜日のことを忘れていると母は思いがけずスイカを買ってきてくれた。半月型に切られた大きなスイカを全部一人で食べて良いと言うので僕は喜んでギザギザスプーンを刺し込み丸くくり抜いて口に放り込む。売ってたやつだから冷たいと言うがぬるくて、でもスイカが好きなので喜んで食べていたら母は、お父さん今日おばあちゃん家に行ってるよと言う。父の実家である。関越道を1時間ほど走れば行けてしまうので、父は月に一度は実家へ両親、僕から見て祖父母の様子を見に帰る。でも先週も帰ったという話を聞いていたので、何かあったのかと思う。するとやはりそういうことで、何でも祖父が老人ホームに入ることになったのでその手伝いをしに行ったのだということだった。
 祖父は健康ではあるが、一人で生活をするのには少し不安がある、むしろ祖母の方があまり健康でなく、諸々の事情があって祖父は誰か面倒を見てくれる人が近くにいてくれた方がよいであろうということになったとのことだった。ホームと言っても家の近所で、気軽に行き来できるような環境らしい、まああまり心配をするなと言われたが何だか心が穏やかでないのは明らかで、父は、僕の父は自分の父親が施設のお世話になるということの諸々のことで一度家に帰っていて、それってすごく、例えば僕が三十年後に自分の父親に対してそういうことをしなければならなくなった、そういうことになった時のことを想像してしまった。先日実は二十五歳になって、ああ四半世紀。三十歳になることを考え出す、僕は大人であった。甘くてぬるいスイカを食べながら、諸々の思いが同じところでまざって、角が取れてすごくざっくりとした気持ちになって、とにかく嗚呼と思いながらスイカを食べたのであった。
 父が帰ると八橋を持っている。父の姉、僕から見て伯母が教師であって、修学旅行のお土産とのこと。柔らかくて甘い、甘党の僕。僕が将来父の世話をするために妹と集まった時、僕は、あるいは妹は、八橋とかそういうものをついでに渡そうという気持ちになるのかどうか、そういうことを考えて、僕は繊細過ぎるのか? と思う。妹はシナモンと言うがいやいやニッキでしょ、それで調べてみると両者はほぼ同じものであるということがわかった。新しいことがわかって少しうれしかった。夜にはレバーを食べた。妹は別に貧血じゃないよと言うので、そっかーと笑った。
 妹も二十二歳になったということを思って、時間がすごく経ったことを感じた。