子供が生まれたのが7月、光陰矢の如しでじきに5か月になる。子供が生まれた日、僕は自宅にいて、なぜならば病院から、お前は連絡のつく場所で待機しているようにと言われたからである。つまり出産に立ち会ったりとか、直接妻を励まして送り出したりとか、そういうことは出来ていない。僕はただ自宅ではらはらと過ごすことしか出来なかった。思えば僕の子育てに対する無力さはこの辺りから始まっているのかも知れない。
妻と子供が退院する時には、妻の両親が車で迎えにきてくれた。僕も一緒に乗り込み、そのまま妻の実家へ向かった。妻は1か月の間里帰りすることになっていた。僕は妻と子供と一緒に少しの間妻の実家で過ごして、週末の終わりに一人自宅へ戻った。仕事をしなければいけない。フルテレワーカーなので妻の実家から仕事が出来ないわけではないが、十分仕事に集中できる場所があるかと言えばそういうわけでもない。僕が夜遅くまで残業していたら妻の両親は心配するだろうし、僕も妻の両親に心配をかけているだろうなと思って落ち着かなくなるだろう。幸いなことに少々時間はかかるが、通えない距離ではなかったので、僕は金曜日の仕事終わりに帰宅ラッシュの電車へ乗り込み、週末だけ妻の実家へ通う日々がしばらく続いた。わざわざ土曜日を待たず金曜日に出かけて行ったのは、少しでも長く妻の助けになりたいから、言い換えれば、子供のために直接的に何もしてやれないこと、それによって妻に負担が集中していることに対する負い目が耐え難かったからである。
新たに親になった人の全員が通る道だと思うが、赤子の手などというのは捻るつもりがなくとも捻ってしまいそうになるくらい頼りなく、世話はどうしてもおっかなびっくりになってしまう。週末の僕は少しでも妻の代わりに働かねばと思い、なるべく、例えばおむつを交換しようとするが、当然ながら毎日休みなく働いている妻ほど上手く出来ないし、かえってやり直しの手間をかけさせてしまうこともある。妻はそんな僕を責めないでいてくれるが、僕はやるせない気持ちで長い帰路につくこともあった。僕が妻よりも出来るのは、重いものを持つとか、高いところのものを取るとか、身体を痛めて子供を産んだ妻よりたくさん動くとか、そんなことばかりだった。やがて多少の慣れが生まれたが、それまで時間がかかった。
1か月経つ頃に、妻が子供を連れて戻ってきた。嬉しかった。やっと妻と子供がいる僕の人生が始まったような気がした。それに今までよりもっと妻の助けになるための機会を獲得したと思った。相変わらず妻は僕よりも上手く子供をあやすし、子供の方も妻にあやされることに慣れている雰囲気があって、遅れを取り戻さなければならないような気持ちになったが、毎日出社をする人よりはずっと長く妻と子供と一緒にいられるはずだ。その時の僕には希望があった。
そして近頃の生活はどうだ。僕は仕事があるために、一人寝室で眠ることになった。妻は子供と別室で夜を明かす。子供は夜に泣くこともある。僕は申し訳なさにまみれて眠ることもあったが、この家の経済活動を止めるわけにはいかない。ただ子供、もというちの娘は割に早い内から夜通し眠るようになったので、寝不足が続く妻にも、そんな妻に対する負い目によって弱っていた僕にも、なんて優しい子だろうと思った。
僕は毎日同じ時間に起きて、洗濯や買い物、食事の支度、ゴミ出しなどの家事をやってから仕事を始める。それくらいやらねば本当に申し訳が立たない。その後は寝室が仕事部屋を兼ねているので寝室に戻る。日中妻と娘の顔が見られるのはせいぜい昼休憩とか、そういうわずかな時間だけで、たくさんの時間娘の相手に時間を割ける訳ではない。
ただ夕方には少し仕事を休憩して、僕が娘を風呂に入れる。僕が娘の身体を洗い、その後妻が娘の身体を拭いて着替えさせる。入浴は二人の連携が必要だった。
僕はその後仕事に戻る。在宅勤務の功罪、以前は場所の移動が必要な仕事がある時には、移動の時間を勘定に入れてスケジュールを組んでいた訳だが、今はバーチャルな会議室からバーチャルな会議室へ、数回のクリックで移動が完了する。その結果時間を有効に活用できるようになり、またあるいは社内会議の直後に取引先との商談に出て、それが終わるや否や別の社内会議に出るようなことが可能になってしまった。忙しくなった。
そういうことをしていると、娘は寝る時間になっているし、僕も早く寝て明日に備える時間になっている。一日が恐ろしく短いと感じる。夏から秋になり、また冬に差し掛かり、日が差す時間が短くなったこともそう感じさせる。
そんな暮らしを続けていると、当然ながら娘は妻の腕の中で安らかな表情を見せるようになる。娘は早くも人見知りを覚えたようで、僕の顔は覚えてくれたようだけれども、僕の抱っこではなかなか泣き止んでくれないことばかりだ。妻に代わるとすぐに寝息を立て始める。その様子を見るのはなんだか切なかった。世間の父親は、みな一様にこんな思いを抱いているのだろうか。子供の世話は女の仕事だろうなどという封建的な考え方の人間だったら、そんなことも思わないのかも知れないが、僕はそうはなれない。妻は優しく、僕のことも認めてくれるばかりか、感謝の言葉もくれるが、僕にはそれはもったいないような気もする。ただ妻と娘と一緒に暮らす日々は幸福で、僕はその幸福のために努力する他ないのであった。
娘はまだ言葉を解さないし、彼女の気持ちをこちらがつぶさに汲み取ることも出来ない。それが出来るようになった時、僕は彼女にとってどんな存在になるのだろう。赤ちゃんが赤ちゃんでいる時間は短いと聞く。今は無力さを感じていても、努力を重ねた結果としてそれが現実なのであって、貴重な時間なのだと思った方が良いのだろうなと思う。あるいは、娘の笑顔が本当に可愛い、ただそれだけでも実はいいのかも知れない。慌ただしく日々は過ぎていく。