2014/12/30

さらば愛しの2014年の僕の件

 営業の仕事を宝探しゲームに例えてみる。僕がA社の営業社員だとして、このA社というのは営業社員をいくつかの部と課に分けている。分ける基準は営業対象とする顧客の業界であり、宝探しゲームで言えば宝を発掘する土地の区域によって担当が分かれている状態。僕が仮に1区の営業担当だとする。1区の中には様々な企業があり、その企業の規模によって陣地の大きさ(=業界におけるシェア)も違う。1区1番地にはシェアナンバーワンの企業、2番地にはツーの企業が陣地を持っていて、その陣地の地下には宝が埋まっている(=A社のサービスによって満たせる潜在的なニーズがある)ものと仮にした時に、その陣地を僕らA社の社員が深く掘っていく(=どこにニーズがあるのかクライアントにヒアリングしたり気付かせたりする)ことで宝を見つけることができればこれが受注と相成る訳である。
 そこに穴を掘る余地があれば頑張って掘り進める作業もするだろうし、そこにもし宝が埋まってなかったとしても、その穴を掘るために用いた特殊な技術を別の穴を掘る際に役立てることもできるだろう、もしくは穴を掘るためにはその陣地の管理人(=クライアントの担当社員)と接する必要があるので、彼と仲良くなっておけば同社の別の管理人を紹介してくれるかも知れない、そうやって発掘作業の可能性は広がっていく。
 ただしもう穴を掘るスペースがなかったり、あらかた掘り尽くしてしまっていたり、そもそも地面が柔らかくない、コンクリートで舗装されている場合だってある訳だ。営業社員にはいろいろな種類があるが、ざっくりと二分すれば新規営業とアカウント営業ということになると思う。前者はまだお客さんではない会社に対してお客さんになってくれるようにお願いする営業、後者は既に取引のあるお客さんに対して別の仕事を貰えるように接する営業である。宝探しゲームで言えば、前者は新しい土地を開拓していく係、後者は既に宝が見つかった陣地の中にもっと宝が埋まっていないか調べる係、そして僕は後者で、だから会社から「この土地はお前の担当だから」と割り振られるということになっていて、でもよくその土地を見てみると先に述べたようにもう掘っても絶対に宝が出てこない、あるいは掘りようがないところだってたくさんある。僕の上司というのは僕に「お前はこの土地をどうしたいと思ってるんだ」つまりどう掘っていくのか、宝を見つけるためにどういう働きかけをしていこうと思っているのかということをざっくりと聞き、それが足りなければ行動力が足りないという評価をする人で、そんなこと言われても僕がどうすればいいか聞きたいわ、というのが2014年の僕の仕事だった。

 僕の一番の味方は僕であるということについては一生疑わないと思う。だからその年がどんな1年だったかということに関わらず、僕は2014年の僕のことをとても愛している。しかしながらそんな保険をかけなくても、2014年の僕はよくやったと思う。僕は2014年が始まる時に、今年は仕事もし、勉強もし、遊びもし、金も使う、ざっくりと言えばアクティブな年にしようと思っていたが、良くも悪くもかなり動き回った1年だったという意味では達成したと言える。今年は本当にいろいろなことがあって、僕が将来偉人になって伝記が出版された暁には、2014年に一つ大きな項目ができるはずだ。それくらいいろいろあった。いろいろない人はいないと思うが、いろいろあったとしか言いようがない。語彙が足りなくなる。体力が空である。今年は本当に疲れた。ただし2014年は文字通り汗っかきの僕がたくさん汗をかいた、自分から汗をかきに行ったこともあってか、たくさんの人が僕を見てくれた1年でもあった。非常に基本的なことだが、自分を評価する人が自分以外にいないという状態はとてもまずい。そうでないことがとてもありがたい。2015年も途方もない宝探しを続けることになるだろうが、僕はきっと仕事を頑張ると思う。

 そして僕は鉄火巻のことを考えた。鉄火巻はなぜ鉄火巻と呼ばれているかということについて、僕はその海苔巻きの具である赤身魚が熱した鉄のように見えるから鉄火巻と呼ばれているに違いないということに気付いた。そして調べてみるとそれが正解であって、ふふんやはりなという気持ちで今はとても満足感にあふれている。僕は2014年をいい気分で終えることができる。
 いや違うそういうことではなくて、僕は2014年の終わりにそんなことで満足感に浸れるくらい、すでに満たされているということを言いたい。2014にやり残したことはもうない。鉄火巻のことを考える余裕がある。いい1年だった。単純に、いい1年だった。