2015/01/26

徒党を組みたい件

 かつて僕は、たくさんの人に認められなくていい、仲の良い何人かに好きでいてもらえればそれで十二分だという気持ちを持つ少年だった。僕が生まれ育った東京都東村山市は市内の小学校に通う子供たちを対象にしたドッヂボール大会を年に一回開催しており、僕はそれに三年生の時から毎年参加して(三四年生の部と五六年生の部がある)、四年生と六年生の時の二回も優勝をしたチームのメンバーというドッヂボール少年としてとても輝かしい経歴がある。その時は僕がそのチームの一員ということがとても嬉しくて、それは僕が僕自身に対して「やったぞ!お前はすごい!」という気持ちがあったという訳ではなくて、僕がチームを形作るメンバーの一人であるということに対して快さを感じていた。僕よりも投球に力のあるやつもいれば、僕よりすばしっこいやつもいたし、捕球が僕なんかよりもずっとうまいやつもいたけれど、僕は球を避けるのがとても得意だった。そうやって、何かが得意な誰かが集まって、誰かが苦手な何かを誰かが補っている、その完成形としてのチームにとても収まりの良さを感じていた。
 そして僕はまったくその気持ちを持ったまま大人になって今に至る。僕はたくさんの人に好かれなくていいから、身近な何人かにとても好かれていたい気持ちがある。そしてその仲良くしてくれる人の苦手なことを僕が補えて、僕の苦手なことを誰かに補完してもらえたら、すごくしっくりくる。パズルが組みあがったような気持ち良さ。昔から僕は徒党を組みたい欲があった。

 先日ベイマックスというディズニー映画を観た。観ていない人のために、ティザーの段階で仕入れることが出来る情報だけを使ってその映画のことを伝えるとすれば、十代前半でハイスクールを卒業した天才少年のヒロが、兄を死に至らしめた犯人を突き止めて捕まえるために、兄の残したヘルスケアロボットのベイマックスと兄が所属していた大学のラボのメンバー達を引き連れて悪を討とうとするヒーロー活劇である。文脈を読めばすぐにわかると思うが、僕はこのベイマックスの物語に、とても収まりの良いチーム感、徒党感を感じていたのだ。
 ベイマックス、ヒロ、並びにラボのメンバー四人はそれぞれ化学の力を使って武装し、各々の研究テーマや趣味に合わせた能力を身につけていく。ある者は硬いものでも切断することが出来、ある者は火を吹くことが出来た。それぞれが身につけた能力をうまく使って戦うことが出来る。誰かが出来ないことを誰かが出来て、誰かと誰かの能力を組み合わせるとまた違う何かが出来た。取り分け僕を惹きつけたのは女子メンバーの能力である。ロボットであるベイマックスを含めると六人のメンバーの内二名が女子であったが、一名は素早く移動出来、一名は薬品を組み合わせて起こる化学反応を駆使して戦った。つまりボスを倒すのが最終目的であるロールプレイングゲーム的に言うならば、「素早さ」と「魔法」に秀でたメンバーであるということで、これは要するに女子に対してその能力をあてがったという時点でもうこのしっくり感が堪らないということだ。筋肉を駆使した能力は男子に任せておけばいいのである、力で勝てない女子は代わりに身軽さや頭脳で戦えばいい、この完成されたチーム感に僕は強く感心をした。

 昨日僕は家族と歌番組を見ていて、外国人五人組の歌手が出演しているのを何気なく眺めていると、一人がボイスパーカッションで合わせ、他の四人がそれぞれちがうパートを違う音階で歌うことで楽器抜きに曲を作るタイプのグループ、一人は女性で一人は黒人、一人は背が低く、一人は金髪で、一人は長髪だった。五人は横一列に並び、カメラは正面から五人を映した。そうつまり僕はこのチーム感にまたしてもやられていた。何だこれ、五人で一人じゃないか! という強い感動があった。英語の歌詞の意味なんかわからなくったっていい、この五人が上手く組み合わさって、綺麗な丸を描いている、そのことに完全にやられていたのだ。

 最初に述べたこと、別にたくさんの人に好かれたくないという訳ではない、一定以上の友達がいらないという訳では決してないが、つまりはチームとしての収まりのよさ。それがたまらん訳だ。そのチームの一員に僕がなれればもちろんうれしいが、収まりの良いチームを外から見るだけでもかなり感動が深い。創作された物語は、登場人物が初登場して、その人物の能力を説明する段階が一番熱い。結果を残す前でいい、各々違う能力を持った人間が集まって、チームが出来あがっているということを確認出来る段階が最も心躍る。