2015/03/15

ラバーカップをめぐる冒険の件

細かいことを放っておいて説明するならば、昨今の雑学エンターテイメントのお陰でいわゆるトイレのスッポンがラバーカップという名前であることを僕は知っていた。名前を知っているということは重要なことで、例えばあの歌の歌詞を調べたいなあと思った時にその歌のタイトルを知っていなければ検索のしようがない訳で、つまりはラバーカップが僕には必要だったのだ。詰まりだけに。
ここはあえて時間を作ってでも説明させてほしい、一人暮らしのサラリーマンであるところの僕の夕食は、自炊する元気がある時にはほぼ間違いなく煮込み料理である。鍋一つで料理として完結し、鍋から直接食べれば洗いものも鍋と箸のみ、作るのも簡単で基本的には材料を放りこんで火にかけておけば放置しておいて構わない。そして温かいものを食べると鼻水が出る。僕はいつも大量のティッシュを消費しながら夕食を摂る。そう鼻水なのである。
僕はいつも使ったティッシュをトイレに捨てる。次にトイレを流す機会が起こった時に一緒に流すのだ。流せるものは流してしまえばゴミが減る、ゴミを出す回数が減る、そんな理由である。その日は夕食後にトイレへ用事が無かったので、便器にティッシュを放りこんだ後、泥のように眠った。サラリーマンの週末が始まる。
そして翌朝詰まったのだ。もちろん鼻水をかみ過ぎたのだ。しかし僕は知っている、水が流れなくても便器から水があふれることはない、タンクに設置した薬剤が溶けだした青い水が便器の上限よりほんの数センチ下で留まる、これは経験から得た知識である。僕がこの部屋に越してきてからトイレを詰まらせた回数これで実に3回である。
そして僕は更に知っていた。便器に溜まった水は少しずつ下水へ流れて行き、やがては通常時の水かさに戻る。そこへ更に水を流せば詰まりの原因であるティッシュが丁度水に溶け始めた頃なので一気に流れていく。過去の2回はこれで乗り切ってきた。

しかし今回は違った。水を流しては溜まり、少しずつ水かさが戻って、そこへ更に水を流し、溜まった水が流れ切るのを待ち、そこへまた更に水を流したが一向に自体が解決する気配がない。ここで僕はついにラバーカップを購入する時が来たことを思った。ラバーカップは一体幾らで、どこに売っているのか、すぐに思い当たるのはAmazonドットコム、インターネットジャングルで手に入らない物はない。僕はトイレのスッポンがラバーカップという名前であることを知っていたから、すぐさまラバーカップを検索してみたがもちろんラバーカップも簡単に手に入ることがわかった、しかしいくら配送業者を急かしたとしても届くのは恐らく明日。今日一日トイレが使えないのはまずい。僕はすぐに外出出来る格好に着替える。

僕は生まれて長らく東京多摩地区に暮らしていたが、社会人になり一人立ち、今の住まいは神奈川県川崎市。詳しいことは知らないが素敵らしい街と言われていることは知っていた、武蔵小杉である。
武蔵小杉で物を買おうとする時の選択肢。僕にはあてがあった。ラバーカップを買うならばここしかない、絶対にここだと信じて疑わなかった、ラバーカップというセンス、センスと言ってしまったいいのかわからないが、これはもうセンスとしか言いようがない、小売店の品ぞろえはつまりはセンス、住居に対するインテリアと同じである。和室にはタンスがあり、洋室にはクローゼットがあるものだ。ラバーカップをその内に並べるのはこのオシャレタウンでここしかない、イトーヨーカドーである。

そして結論から言うとイトーヨーカドーにはなかった。完全に期待を裏切られた、ここになければどこにあると言うのだ、この街で商店を営む他の誰がラバーカップを売りたいと思うのだ、どうして風呂を洗浄する道具の横にトイレ洗浄用品コーナーが無いのだ! 
要は液材しかないのだ。ラバーカップというものはトラブルを解消する用品であるからして、トラブルが起こらなければ存在価値のないものである。トラブルによって存在を認められるとは中々に悲しいアイテムであるとわかる。ごめんで済まないから警察がいるのと同じ、地球を脅かす敵がいるからヒーローもまたいるのと同じ。だから何と言うのか、絶対にいるものではない。定常的に使うものではないから、店頭に置こうとする順位としてはかなり後ろの方のものだということに気付かされる。液材は掃除の時に絶対に使う、トイレ用品としてより必要なのは明らかにそちらだ。

武蔵小杉にはホームセンターがない。引っ越してきたばかりの時、最寄りのホームセンターへは電車に乗って行ったことを思い出す。ホームセンターになら絶対にあるという自信があるが、肝心のホームセンターが近くにないのだ。
確かここら一帯で一番大きい商業施設であるところのグランツリー武蔵小杉の中にホームセンターっぽいコーナーがあったような? いやしかしあんなオシャレな商業施設にラバーカップがあるものか? ビームスとラバーカップは同居し得るのか? いやしかし大本命のイトーヨーカドーに無いとなると手段は選んでいられない。意外と最寄りの食品スーパーにあったりしてなどと思いながらグランツリーの長いエスカレーターを昇る。吹き抜けから1階に設置された噴水がカラフルなライトに照らされているのを何となく見つめる。ラバーカップと対極にある景色のように思える。
そしてもちろん無かった、いやしかしこれは確実に正解だとわかる計算問題の答え合わせを念のためしてみるのと同じ、わかっていた結果の確認に過ぎなかった。

グランツリーが1位だとすれば、2位3位を争うのがララテラスと東急スクエア、1階には高級志向のスーパーが、2階以降には嗜好食品や服飾、書籍、雑貨など、最上階にはレストラン、明け透けに言えばオシャレ寄りのデパートチックな建物である。ここには明らかにないことは分かっていた。念のため1階に入っている薬局をちらりと覗いてみたがやはり無かった。この街でラバーカップを探し求めている人間は今僕一人しかいないと思った。
縦の軸は販売数、横の軸は0方面に近付くほど良く売れ、正の方向に遠いほど売れない。グラフで描いてみると、そのグラフの軸となるXもYもゼロの線の角が丸くなったような形になる。横軸は正の方向に遠い程0に近付きあまり売れない。このグラフの形で動物か怪獣か何かのしっぽを表して、ロングテールなんて呼び方をする。ロングテール商品は売れないので店頭に置かない。陳列や在庫倉庫の圧迫になるしどうせストックするなら売れる商品の方がいい。だが求めている人は確実にいる。ネット通販であれば実際の店舗が必要ない。電子商取引はこのロングテール層の顧客を刈り取るのにぴったりの手段である。というのは大学で商学を勉強すれば今時最初に習うような内容である。僕は確実にロングテール商品を求めている、大人しくAmazonに戻った方が早いということもわかっていた。その後いくつかの薬局を廻ってみたが、結果は言わずもがなであった。

とどのつまり。詰まりだけに。
下手な伏線を置いたのでつまりはそういうことだが、最寄りの食品スーパーにそれはあった。価格にして1800円。ちなみにAmazonで調べた最安値は800円、いやしかしこういう時、僕はものの金額に別の価値を付与することに決めている。今日中にラバーカップを手に入れることが出来る、その即時性に対して僕は金を払う。それだけを手にレジへ急ぐ。空いたレジへの一本道が光る、僕は光の道を進む。夕食時、食品を買い求める他の客に対して僕はこう何と言うのか単純に言えば恥ずかしい。テープでよろしいですか? よろしいよろしい、その先の膨らんだ棒状の道具を入れるとすればどんな形の袋なのだ、縦長の袋の用意はあるのか。クレジットカード一括払いで頼む。速やかに出口へ、そして僕はそれを自転車のかごに放りこむ。さっきの店員に絶対この人トイレ詰まったんだな今も流れてないんだろうなって思われただろうななんてそりゃ考えながら部屋へ急いだ。お察しの通り詰まっているのだ。長い長い冒険のゴールがすぐそこに。この話で何が言いたかったかと言うと、まあ武蔵小杉でラバーカップが必要になった時には東急ストアへ行けということである。