父親は昔、僕が中学校に上がるくらいまでの間、海外を含めてとても出張の多い仕事をしている人だった。父は海外に行くと決まって土地の名前が入っている、国旗をかたどったり、その地のシンボルを表すような形をしたキーホルダーを買ってきた。ニューヨーク、サンフランシスコ、ワシントン、アメリカの地名は特に多かったが中にはフランス、イタリア、グレートブリテン、ネーデルランドがオランダを示すことはこのキーホルダーで知ったかも知れない。金属製のキーホルダーを集めた箱がどんどん重みを増していって、父の海外経験値の高さをそこから思い知った。
今年で二十七歳になった僕だが日本から出たことがない、ついでに言うとパスポートも持っていない。大型連休前になると海外旅行の話題が出ることがあるが、そこでパスポートを持っていないという話をすると決まって驚かれてしまう。海外旅行ってそんなにありふれていることなのだろうか、日本の外に出る、何時間も飛行機に乗って、言葉の通じないところに行くだなんて、怖くないのだろうか、それを考えてもまだ足しになるような魅力がそこにはあるのだろうか、色々なことを考えてみるが例えば今すぐパスポートを取りに行って海外に行かなければお前の命はないぞと言われない限りは海外に行こうと思い立つことは無いだろうとそんなことを思う。
ちょっとスケールを落としたい、僕はこの二十七年間の人生で飛行機に乗ったことが一度しかなかった。初めての飛行機は中学一年生、家族四人で北海道へ旅行に出かけた時のこと。前の通り出張の多い父が貯めたマイル、飛行機から縁遠い暮らしをしているのでマイルというものが飛行機に乗ると溜まるポイントみたいなもので、ポイントはある程度溜まると旅券と交換できるというような雰囲気のものだと思っているのだが、それを使わないと失効してしまう、そんなようなことで、家族旅行なんて数えるほどしか行ったことがなかったのに、突然飛行機に乗ることになったのだと、確かそうだったと思う。
もう一段スケールを落としてみたい。東京都の多摩地域出身なのだが近くに西武園遊園地があった。一度家族で出かけたことがあったがそれは僕が小学生の真ん中から上に差し掛かるくらいの頃だったと思う、その時僕は人生で初めてのジェットコースターを経験した。
その歳までジェットコースターに乗る機会がやってこなかった訳ではない、誘いがあっても断ればいいという話、あえて僕が避けていたのだ。理由は至極簡単で、僕はジェットコースターが怖いのであった。だって高いし、速いし、死ぬかも知れない、もうみんなに会えないかも知れない、そんな子供の澄んだ恐怖をどうしたことか両親は矯正したかったらしく、乗れ乗らない乗れ乗らないを繰り返した挙句、乗ったら当時僕が集めていた遊戯王カードを買ってやるなどと条件を付けてきて、大人ってやつは卑怯である。最終的には金で解決しようとするのが大人の汚いやり口なのだ。そして僕は遊戯王カードだけに気持ちを集中させることで、すぐ隣にあるような気がしてしまう死から目を必死に背け、カタカタと天へのはしごを上る滑車に命を預けることになってしまったのである。
つまり何が言いたいのかと言うと、僕は飛行機が怖いのである。だってあんなに大きくて重たいものが、何人もの人を乗せて、あんなに長い距離をあんな速度で、大きな事故の報道も、いつに起きたものかなんて細かいことはわからないけれど何となくそういう可能性を大きく孕んだ乗物のような気がしてしまう、とても単純な理由だけれども、僕はそういうことがあって飛行機が怖いのだ。
平静に暮らしている状態が、危険度ゼロだとする。飛行機に乗ると、ゼロではなくなる。僕はこの値をゼロにするためにお金を払うという理屈には納得がいく、この値を大きく上げる事柄に対価を払うのは、それはおかしい、誰も彼も、程度はあると思うが、安心して暮らしたくない人なんていないと思う。初めて飛行機に乗った十五年前、僕はどんな気持ちだったかなんて細かいことは忘れてしまったが、何か覚悟を秘めた搭乗だったに違いない、もう日常に戻れない可能性がある、そんなことを思っていたに違いないのだ。
現にこの度福岡への出張を命ぜられ十五年ぶりに羽田へやってきた僕は横並び三席の座席の真ん中に座り、もし何かあったら人生最後のコミュニケーションは両端の二人ということになるのだろうかなどと考えたりした。機内モードにした携帯電話では誰と連絡を取ることもできない、孤独な闘いだった。
もちろん僕も大人だから、不安が外に漏れるようなことは無かったと思う、内心はとてもそわそわしていて、むしろ窓の外を見てしまう、何か建物にぶつかったりはしないか、急に高度が下がったり、変に傾いたりはしていないか、そういえばプロペラが鳥を巻き込んで異常を起こしてしまうバードストライクというやつを聞いたことがあるぞ、そういう懸念はないか、などと外を見張るのに忙しかった、地に足がつかないとはこのことだと思ったが、それは心の中での話。まさか隣の乗客に、こいつさてはびびってやがるなぞとは思われているはずがない、多分そのはずだ。
当然と言えば当然なのだが、普通にやれば普通に到着するはずなのである。一か八かであんな鉄の塊に乗せられて空に飛ばされたのではたまったものではない。当たり前に予定されていたことのように僕は福岡へやってこれたし、無事に東京へ帰ってくることができた。わかっている、そんなことはわかっているのだが、それでも怖いものは怖いというそれだけの話。新幹線は地上を走るので結構好きなのだが、空を飛ばれたらちょっと話が変わってくる。普通空は飛ぶものではなくて下から眺めるものなのだから。
人生二度目の飛行機は、一度目がずいぶん昔だったこともありとても新鮮な経験だった。よく考えてみるとそれはとても当たり前の話で、飛行機が上昇を続けて雲を突破すると、それはそれは見事な晴れ間が広がっていた。陽の光を遮るものは何もなく、そこは普段見ることのない、高層マンションの屋根、亀の甲羅の内側、あの子のスカートの中、あるのだけれど、存在を認めていないもの、だから何となくフィクションというか、絵画を見ているような、人が見てその美しさに浸るために作られたもののような、そういうものを鑑賞しているような気持ちになった。羽田から福岡への出発は十八時、雲を抜けた時刻は初夏の空が夕闇に飲まれようとする頃で、薄く紫がかった世界に、正午ほどの鋭い輝きは持たない、淡く柔らかい陽の光が溶け込んで、まさにそう、そのように誰かが効果をつけたように思えるくらいに不自然な美しさがあった。雲の上って晴れてるんだなと思った時、そりゃそうかという気持ちが後から追いかけてきた。視点を変えると見えてくるものがあるかも知れないなんて言うものだが、視点というのは気の持ち様というか、そういう心の在り様でどうにかできることではなくて文字通り視点を変える必要があるのだなと思った。飛行機に乗らなければ、雲の上の住人の視点にはなれない。一生なれなくて、存在を認められないものというのは存在しないのと同じだ、だからこの事実は気が付かなくても良かったはずのことだと思う、しかしながらそれに気付いてしまうと、そういう未知の気付きに価値があるような気がしてきてしまって、それが挑戦の価値、とりあえずやってみることの価値なのかも知れない。いや別にこれで飛行機っていいよね、なんてそういうことではない、そわそわと落ち着かない機内でそれが特別印象深かったとそういう話である。