充実したお盆休みを過ごしたという状態でありたい、そんな気持ちがあって、その心はつまりお盆休みが終わった時にしみじみと、ああ充実したお盆休みだったなあなんて思いたいし、充実したお盆休みを過ごしただなんて羨ましいわなんて思われたいからということである。あるいは僕という人間はつい何かをするか否かについて考える時に、それをすることが面倒であるかそうでないかという秤を持ち出してしまうので、見聞を広めるためにも長期休暇くらいはアクティブに時間を使うべきではないだろうかなんて気持ちもあった。
前々から、相手方から僕の方へ来るか、それとも僕がそちらへ行くか、という話があったのだが、大学時代に長野県出身の友人がおり、在学中に一度彼の案内で近辺を巡ったことがあったがそれも五年も前のこと、思い出されるのは全方位の視界を山で遮られた土地に広がる一面の緑と、寒い色が付いたように見えてしまうほどの澄んだ空気、田舎という語に内包される風景としてかなりふさわしい画がある、このロケーションは普段都会で勤めるサラリーマンのお盆休みというシチュエーションに何と優しく寄り添うことか。この気持ちが変わらない内にと来訪の打診をしてみたところ快く了承の返答をしてくれ、僕はすぐにお盆休みを長野の避暑地で過ごす予定になっているサラリーマンになることができたのでお盆休み直前、仕事に向かう足取りは軽やか、パソコンのキーボードを打つ指先は踊るようであった。
彼はとても地元に対して愛着のある質で、車も持っていたから、申し訳ないことに僕はただ現地までの切符を買っただけ、あとは彼の案内のままに評判の食事処や観光スポットを回った。どこへ行ってもやはり自然の潤沢なことを、目に触れるもの、口にするもの、肌をかすめるものから感じて、その度に今僕は普段の暮らしとは遠く離れた場所にいることを思った。これまで見聞きしてきたものたちから得られるイメージの話だと思うが、夏という季節には田舎の風景が良く似合う。長野にいる間中、僕は今夏休みを過ごしているのだ、夏の真っ最中なのだ、という気持ちが抜けなかった。たまらなく、今の季節は夏なのだということを思った。
夕方ごろになると、一度車を置いてから電車で市街地へ出た。田舎とは言えど繁華街には人が集まる。コンビニもあれば居酒屋もあった。何となく田舎の娘らにはどこか垢抜けなく野暮ったい、素朴で純な感じを求めてしまうのだが、高校生から大学生くらいの年頃に見える彼女らの姿や喋ることなどは東京で見るのと何も変わらなかった。ここでも彼のおすすめの飲み屋を訪ねて歩くこととなり、顔馴染みの店があるというところが何とも地元を愛する彼らしいなと思いここでも彼のうしろをついていった。
クラフトビールの店や地酒が飲める店などを巡って、ああもうかなり心も身体も満たされたぞという頃に、今日はもう一軒行かなければならない店があると言うので、やはり後ろをついていくと、駅前ロータリーから程近い、大通りに面したビルの階段を上り始める。エレベーターはない、踊り場にそのまま入口がある。ビルに入る際によく見ていなかったが店の看板もあったかどうか、一見が入る、もとい見つけるには、立地の良さに反して少々難しいように思える場所にあるようだった。
3階まで登ったところでガラスのドアに背を向けて座る和装の女性の姿が見える。彼はそれを見て暇そうだなあなんて言うものだから、僕は内心、えっ、馴染みの店ってここのことか? こんなところに入り浸っているのか? と思わずにはいられなかった。バーが良いか、スナックかそれともクラブなのか、明らかに二十代の若造がちょっと一杯で入る店の風体とかけ離れているように思われた、ドアの向こうには薄明るい照明の中、通りの鮮やかな街頭を見渡す窓に面した、厚く脂を塗った濃い色の木でできたカウンター席の並びが見える。少なくとも僕がよく行くような、大学生のバイトが薄い酒を運んでくるような居酒屋や、中国人の店主がビールと一緒に豆苗炒めを持ってくる中華料理屋とは一線どころか二線も三線も画しているようだった。一緒の大学で学んだ彼だ、いつの間にここまで経験値に差がついてしまったのか、田舎の美しい風景を愛する彼の印象がそこでガラリ、何なら少々彼に対して、裏切られた! という気持ちすらあった。僕は彼に対して、まさに信州の清流で練り上げた蕎麦のような、そういう素朴かつ純な空気を求めていたのだ。
そんな僕をよそに彼はためらいなくドアを開く、いつもそうしているかのようにこんにちはとその女性に声をかけると、そちらもあら〇〇君、などと、お互い見知った関係であることを思わせる言葉を交わした。東京から友人が来た、と彼は僕を紹介してくれたが、僕も余裕な顔をしてこんばんは、なんて言ってみたはいいものの、こういう店での振舞い方がまるで分らない、そのシチュエーションにおける常識がわからないというのはなんと生きづらいことか、新入社員研修時代を思い出す。女性はママと呼ばれる存在のように思われる、僕よりも母親の世代に近いくらいに見えたが、何と言っても和装である。和装の女性にお酌をしてもらう店にいる、ということを考えた時にすっかり僕の心は長野を飛び出して銀座であった。
その場でそんな風に呼ぶなんてことは無かった訳だが、便宜的にここでは彼女のことをママと呼称することにして、ママは彼に「見晴らしのいい席に案内してあげて」などと言った。すると彼はあい分かったという顔をして僕をカウンターの最も端の席へ誘った。角度からして、その席が最も駅前通りの街並みを見渡すのに良い席だったのだ。確かに商店の明かりが夜の暗さに映え、しかし少しその奥へ、駅から離れたところに目をやると、明かりが無く既に眠ってしまった街並みもあり、その対比が何ともこの場にとってそれらしい、都会で言う見晴らしの良いとは意味の変わる、しみじみとした味わいのある景色であった。いやそんなことよりも彼が、見晴らしの良い席に僕を案内しろと言われてさっとこの席へ呼んだことだ。彼はどうもこの店に慣れすぎている。彼はいつの間に僕の年齢を追い越していったのだろうか、僕の頭の中はそればかりである。ママはカウンターの奥から「どうします? 水割り、ロック」と聞いてくるのでここでまた僕の驚きというか、一瞬の怯み、この店にはウイスキーしかないことがわかる。カッコつけてロックを頼もうとした内心、いや阿保タレ誰にカッコつけようとするのだ無理をするなと、きちんとブレーキをかけようとする自分もおり、すんでのところで「ハイボールできますか」と尋ねたらちゃんとソーダで割ってくれることになった。彼は水割りを頼んでいた。僕の中でどんどん彼の皺が、身体に刻まれる年輪の層が厚みを増していくのがわかる。何ならこういう店との距離感は、都心に勤め、都心で暮らす僕の方が近いのではないか、いや何も彼に差をつけられたというか、置いて行かれて悔しいという気持ちになっている訳ではなくて、そもそもこれって良いことなのか? 飛び級ではないか? マサチューセッツに籍を置く天才小学生なのではないのか? そんな気持ちであって、少し見ない間に彼はずいぶんと大人になってしまったのだなと、それはある種の悲しさである。ママがウイスキーにソーダを混ぜている間、そんなことばかりを考えていた。
どうも話を聞いていると、彼もその店を誰がしかに紹介されたのだと言う。そしてどのようなつながりで紹介されたかと言えば、地元のサッカーチームのサポーター仲間なのだとか。確かに彼は地元チームの熱心なサポーターで、そのチームも地元とのつながりを大層大事にしているように思えたので、応援する者同士が仲良くなるのも何となく納得がいった。そこで少し、やはりスポーツの力はすごい、スポーツが絡むだけで、銀座にいた僕の心は少々こちらに引き戻される。そのチームのチームカラーは緑色だが、みんなが緑色のユニフォームを着て応援に行き、勝った試合を祝うためにこの店に集まる風景を想像すると、それは不思議と健全というか、偏見だけで語るのも何だが、闇夜の怪しい光を放つ彼が蕎麦色に戻っていくのを感じた。ここに来るまでにいくつかの店でよく飲み食いをしてきたという話をすれば、ママはナスやキュウリの浅漬けを出してくれた。頼んだわけではない、この店のシステムはそうなのだと言う。僕は漬物が大の好物なので、ありがたく頂戴した。その間彼はずっとママとサッカーの話をしていた。僕はサッカーがわからないので、その良いとされる景色を眺めたり、ちびりちびりと酒を飲んだりしていた。彼とこの店がサッカーでつながれた関係だということがわかっても、やはり僕にとってここは初めて足を踏み入れる領域である。近頃接する女性なんて同年代のしかも慣れ親しんだ相手ばかり、これも偏見だけだがママと呼ばれる職業であるからには酸いも甘いも知り尽くしたはちゃめちゃな経験値の持ち主であるに違いないのだ。僕のことなんて赤子に見えているはずである。長野と銀座の間をうろうろとしながら夜は更けた。
酒もつまみも、無くなるころに次々と足されていった。後から彼に聞いた話だが、そこはいつもグラスが空けば次が注がれ、皿が空けば新しいものを寄越されるのだとか。頼めば何かあるのだろうが、黙っていればあるものを出してもらえるらしい。このような店の店主がママとされる理由がわかる。僕はママに甘えている状態であった。
彼のサッカーの話にうなづいたり、今日僕がどんなところを彼に案内してもらったか、一泊して明日はどのようなところを回るつもりかというような話で緊張は解けていく、アルコールを含んでいることもあって、まさか思春期のような、お姉さんに対して気恥ずかしい気持ちは無かった。
しかしそれも彼がいたからであるということがわかるまでそう時間はかからなかった、彼が便所へ立ったその時である。後から思えばほんの数分だったはずだが、彼がちょっとお手洗いへと言った瞬間僕の脳細胞は、彼が戻ってくるまでの間どう場をつなげばよいのかということだけに反応して力がそそがれた。彼はかなりおしゃべり好きなタイプに思えるが、そういう社交的な人と一緒にいることで救われた経験が何度もある。まして相手が相手である、今旅立ったのにいきなりボスへの道が開けてしまったゲームをクリアするにはどうすればよいのか、なんて、いやそうは言っても僕だって営業マンの端くれである、いくらか大きな実績を出したこともあるし、何ならコミュニケーションで飯を食っているような人間、何を恐れることがあるという気持ちも無いことも無い、いやいやそんなことの前に、二十七歳にもなって、たとえ相手が百戦錬磨のママだからと言って、何もしゃべられないだなんてそんな恥ずかしい話があるか、などともやもや考えていたところでやはり先手を取ったのはママであった。
「東京にはナイトプールっていうのがあるじゃない、私あれをYouTubeで見たんだけどすごいわよね」
僕はもう悩むのをやめた。だってそうである、ナイトプールの話なんて、東京に生きる僕にだって全く語れることがない。そもそもなんだ、どうやって場をつなげばいいかなんて、ママに対して失礼じゃないのか。僕は赤子、次のおっぱいの時間を待ち遠しくして指でもくわえておけばいいのだ。勝手に僕が話題を作らなければなんて気持ちになっていたのが間違いだった。だって、ナイトプールである。田舎だと思っていた長野に構えたバーの片隅で、なんとも言えない無力感を僕は味わった僕は、ナイトプールについて知っていることを全力で、しかし背伸びし過ぎず、わかる範囲で、なんて思ったわけだが、結局のところ、ああ今流行ってますよね、なんて、やはり僕は無力であった。だってナイトプールの話題になるなんて思わなかったのだ。そもそもなんなんだよナイトプール、全然知らないし。僕は美しい景色を眺めながら実のしまった蕎麦を食べに来たのである。
二人で2時間ほどであっただろうか、軽いつまみばかりだったからだろうが、二人合わせて5千円ほどであった。終電は11時過ぎごろだったが、少々長居してしまって電車へ駆け込むことになった。今日の宿は彼が務める会社の独身寮である。一部屋空いているというので一晩だけお借りすることにした。飲んだ駅から数駅挟んで寮まで少々歩くと、駐車場の大きなコンビニや、あからさまな外装のラブホテルがあって、やっと田舎に戻ってきた、僕の心も銀座を抜けたような気分になった。今日一番印象に残ったのは美しい高原の景色でも、見晴らしの良い露天風呂でも、清らかな水で締めた蕎麦でもなくあの店だと言ったら彼は笑っていた。ちょっと誰かとお話でもしたいわという気持ちになった時にそこへ行くんだとか。彼の背中が遠く見えた。グラスを合わせてチンと鳴らし、完敗、とつぶやくほかない。
前々から、相手方から僕の方へ来るか、それとも僕がそちらへ行くか、という話があったのだが、大学時代に長野県出身の友人がおり、在学中に一度彼の案内で近辺を巡ったことがあったがそれも五年も前のこと、思い出されるのは全方位の視界を山で遮られた土地に広がる一面の緑と、寒い色が付いたように見えてしまうほどの澄んだ空気、田舎という語に内包される風景としてかなりふさわしい画がある、このロケーションは普段都会で勤めるサラリーマンのお盆休みというシチュエーションに何と優しく寄り添うことか。この気持ちが変わらない内にと来訪の打診をしてみたところ快く了承の返答をしてくれ、僕はすぐにお盆休みを長野の避暑地で過ごす予定になっているサラリーマンになることができたのでお盆休み直前、仕事に向かう足取りは軽やか、パソコンのキーボードを打つ指先は踊るようであった。
彼はとても地元に対して愛着のある質で、車も持っていたから、申し訳ないことに僕はただ現地までの切符を買っただけ、あとは彼の案内のままに評判の食事処や観光スポットを回った。どこへ行ってもやはり自然の潤沢なことを、目に触れるもの、口にするもの、肌をかすめるものから感じて、その度に今僕は普段の暮らしとは遠く離れた場所にいることを思った。これまで見聞きしてきたものたちから得られるイメージの話だと思うが、夏という季節には田舎の風景が良く似合う。長野にいる間中、僕は今夏休みを過ごしているのだ、夏の真っ最中なのだ、という気持ちが抜けなかった。たまらなく、今の季節は夏なのだということを思った。
夕方ごろになると、一度車を置いてから電車で市街地へ出た。田舎とは言えど繁華街には人が集まる。コンビニもあれば居酒屋もあった。何となく田舎の娘らにはどこか垢抜けなく野暮ったい、素朴で純な感じを求めてしまうのだが、高校生から大学生くらいの年頃に見える彼女らの姿や喋ることなどは東京で見るのと何も変わらなかった。ここでも彼のおすすめの飲み屋を訪ねて歩くこととなり、顔馴染みの店があるというところが何とも地元を愛する彼らしいなと思いここでも彼のうしろをついていった。
クラフトビールの店や地酒が飲める店などを巡って、ああもうかなり心も身体も満たされたぞという頃に、今日はもう一軒行かなければならない店があると言うので、やはり後ろをついていくと、駅前ロータリーから程近い、大通りに面したビルの階段を上り始める。エレベーターはない、踊り場にそのまま入口がある。ビルに入る際によく見ていなかったが店の看板もあったかどうか、一見が入る、もとい見つけるには、立地の良さに反して少々難しいように思える場所にあるようだった。
3階まで登ったところでガラスのドアに背を向けて座る和装の女性の姿が見える。彼はそれを見て暇そうだなあなんて言うものだから、僕は内心、えっ、馴染みの店ってここのことか? こんなところに入り浸っているのか? と思わずにはいられなかった。バーが良いか、スナックかそれともクラブなのか、明らかに二十代の若造がちょっと一杯で入る店の風体とかけ離れているように思われた、ドアの向こうには薄明るい照明の中、通りの鮮やかな街頭を見渡す窓に面した、厚く脂を塗った濃い色の木でできたカウンター席の並びが見える。少なくとも僕がよく行くような、大学生のバイトが薄い酒を運んでくるような居酒屋や、中国人の店主がビールと一緒に豆苗炒めを持ってくる中華料理屋とは一線どころか二線も三線も画しているようだった。一緒の大学で学んだ彼だ、いつの間にここまで経験値に差がついてしまったのか、田舎の美しい風景を愛する彼の印象がそこでガラリ、何なら少々彼に対して、裏切られた! という気持ちすらあった。僕は彼に対して、まさに信州の清流で練り上げた蕎麦のような、そういう素朴かつ純な空気を求めていたのだ。
そんな僕をよそに彼はためらいなくドアを開く、いつもそうしているかのようにこんにちはとその女性に声をかけると、そちらもあら〇〇君、などと、お互い見知った関係であることを思わせる言葉を交わした。東京から友人が来た、と彼は僕を紹介してくれたが、僕も余裕な顔をしてこんばんは、なんて言ってみたはいいものの、こういう店での振舞い方がまるで分らない、そのシチュエーションにおける常識がわからないというのはなんと生きづらいことか、新入社員研修時代を思い出す。女性はママと呼ばれる存在のように思われる、僕よりも母親の世代に近いくらいに見えたが、何と言っても和装である。和装の女性にお酌をしてもらう店にいる、ということを考えた時にすっかり僕の心は長野を飛び出して銀座であった。
その場でそんな風に呼ぶなんてことは無かった訳だが、便宜的にここでは彼女のことをママと呼称することにして、ママは彼に「見晴らしのいい席に案内してあげて」などと言った。すると彼はあい分かったという顔をして僕をカウンターの最も端の席へ誘った。角度からして、その席が最も駅前通りの街並みを見渡すのに良い席だったのだ。確かに商店の明かりが夜の暗さに映え、しかし少しその奥へ、駅から離れたところに目をやると、明かりが無く既に眠ってしまった街並みもあり、その対比が何ともこの場にとってそれらしい、都会で言う見晴らしの良いとは意味の変わる、しみじみとした味わいのある景色であった。いやそんなことよりも彼が、見晴らしの良い席に僕を案内しろと言われてさっとこの席へ呼んだことだ。彼はどうもこの店に慣れすぎている。彼はいつの間に僕の年齢を追い越していったのだろうか、僕の頭の中はそればかりである。ママはカウンターの奥から「どうします? 水割り、ロック」と聞いてくるのでここでまた僕の驚きというか、一瞬の怯み、この店にはウイスキーしかないことがわかる。カッコつけてロックを頼もうとした内心、いや阿保タレ誰にカッコつけようとするのだ無理をするなと、きちんとブレーキをかけようとする自分もおり、すんでのところで「ハイボールできますか」と尋ねたらちゃんとソーダで割ってくれることになった。彼は水割りを頼んでいた。僕の中でどんどん彼の皺が、身体に刻まれる年輪の層が厚みを増していくのがわかる。何ならこういう店との距離感は、都心に勤め、都心で暮らす僕の方が近いのではないか、いや何も彼に差をつけられたというか、置いて行かれて悔しいという気持ちになっている訳ではなくて、そもそもこれって良いことなのか? 飛び級ではないか? マサチューセッツに籍を置く天才小学生なのではないのか? そんな気持ちであって、少し見ない間に彼はずいぶんと大人になってしまったのだなと、それはある種の悲しさである。ママがウイスキーにソーダを混ぜている間、そんなことばかりを考えていた。
どうも話を聞いていると、彼もその店を誰がしかに紹介されたのだと言う。そしてどのようなつながりで紹介されたかと言えば、地元のサッカーチームのサポーター仲間なのだとか。確かに彼は地元チームの熱心なサポーターで、そのチームも地元とのつながりを大層大事にしているように思えたので、応援する者同士が仲良くなるのも何となく納得がいった。そこで少し、やはりスポーツの力はすごい、スポーツが絡むだけで、銀座にいた僕の心は少々こちらに引き戻される。そのチームのチームカラーは緑色だが、みんなが緑色のユニフォームを着て応援に行き、勝った試合を祝うためにこの店に集まる風景を想像すると、それは不思議と健全というか、偏見だけで語るのも何だが、闇夜の怪しい光を放つ彼が蕎麦色に戻っていくのを感じた。ここに来るまでにいくつかの店でよく飲み食いをしてきたという話をすれば、ママはナスやキュウリの浅漬けを出してくれた。頼んだわけではない、この店のシステムはそうなのだと言う。僕は漬物が大の好物なので、ありがたく頂戴した。その間彼はずっとママとサッカーの話をしていた。僕はサッカーがわからないので、その良いとされる景色を眺めたり、ちびりちびりと酒を飲んだりしていた。彼とこの店がサッカーでつながれた関係だということがわかっても、やはり僕にとってここは初めて足を踏み入れる領域である。近頃接する女性なんて同年代のしかも慣れ親しんだ相手ばかり、これも偏見だけだがママと呼ばれる職業であるからには酸いも甘いも知り尽くしたはちゃめちゃな経験値の持ち主であるに違いないのだ。僕のことなんて赤子に見えているはずである。長野と銀座の間をうろうろとしながら夜は更けた。
酒もつまみも、無くなるころに次々と足されていった。後から彼に聞いた話だが、そこはいつもグラスが空けば次が注がれ、皿が空けば新しいものを寄越されるのだとか。頼めば何かあるのだろうが、黙っていればあるものを出してもらえるらしい。このような店の店主がママとされる理由がわかる。僕はママに甘えている状態であった。
彼のサッカーの話にうなづいたり、今日僕がどんなところを彼に案内してもらったか、一泊して明日はどのようなところを回るつもりかというような話で緊張は解けていく、アルコールを含んでいることもあって、まさか思春期のような、お姉さんに対して気恥ずかしい気持ちは無かった。
しかしそれも彼がいたからであるということがわかるまでそう時間はかからなかった、彼が便所へ立ったその時である。後から思えばほんの数分だったはずだが、彼がちょっとお手洗いへと言った瞬間僕の脳細胞は、彼が戻ってくるまでの間どう場をつなげばよいのかということだけに反応して力がそそがれた。彼はかなりおしゃべり好きなタイプに思えるが、そういう社交的な人と一緒にいることで救われた経験が何度もある。まして相手が相手である、今旅立ったのにいきなりボスへの道が開けてしまったゲームをクリアするにはどうすればよいのか、なんて、いやそうは言っても僕だって営業マンの端くれである、いくらか大きな実績を出したこともあるし、何ならコミュニケーションで飯を食っているような人間、何を恐れることがあるという気持ちも無いことも無い、いやいやそんなことの前に、二十七歳にもなって、たとえ相手が百戦錬磨のママだからと言って、何もしゃべられないだなんてそんな恥ずかしい話があるか、などともやもや考えていたところでやはり先手を取ったのはママであった。
「東京にはナイトプールっていうのがあるじゃない、私あれをYouTubeで見たんだけどすごいわよね」
僕はもう悩むのをやめた。だってそうである、ナイトプールの話なんて、東京に生きる僕にだって全く語れることがない。そもそもなんだ、どうやって場をつなげばいいかなんて、ママに対して失礼じゃないのか。僕は赤子、次のおっぱいの時間を待ち遠しくして指でもくわえておけばいいのだ。勝手に僕が話題を作らなければなんて気持ちになっていたのが間違いだった。だって、ナイトプールである。田舎だと思っていた長野に構えたバーの片隅で、なんとも言えない無力感を僕は味わった僕は、ナイトプールについて知っていることを全力で、しかし背伸びし過ぎず、わかる範囲で、なんて思ったわけだが、結局のところ、ああ今流行ってますよね、なんて、やはり僕は無力であった。だってナイトプールの話題になるなんて思わなかったのだ。そもそもなんなんだよナイトプール、全然知らないし。僕は美しい景色を眺めながら実のしまった蕎麦を食べに来たのである。
二人で2時間ほどであっただろうか、軽いつまみばかりだったからだろうが、二人合わせて5千円ほどであった。終電は11時過ぎごろだったが、少々長居してしまって電車へ駆け込むことになった。今日の宿は彼が務める会社の独身寮である。一部屋空いているというので一晩だけお借りすることにした。飲んだ駅から数駅挟んで寮まで少々歩くと、駐車場の大きなコンビニや、あからさまな外装のラブホテルがあって、やっと田舎に戻ってきた、僕の心も銀座を抜けたような気分になった。今日一番印象に残ったのは美しい高原の景色でも、見晴らしの良い露天風呂でも、清らかな水で締めた蕎麦でもなくあの店だと言ったら彼は笑っていた。ちょっと誰かとお話でもしたいわという気持ちになった時にそこへ行くんだとか。彼の背中が遠く見えた。グラスを合わせてチンと鳴らし、完敗、とつぶやくほかない。