夏が来る前からどこかそわそわとしていたのは、週末が来るたびに人と会う予定を作っていたからで、7月に入ってすぐの週末、長野に住む友人を訪ねて立川駅から特急あずさへ乗り込んだ。去年も同じく夏に長野を訪ねたが、今年は連れ立って二人。旧友と言うにはまだ早い大学時代の友人と、例えば互いの仕事の話をしたりなどして徐々に緑の増えていく景色を眺めること二時間ほどで塩尻駅へ到着した。前日は雨が降ったが翌朝には上がっており、少し雲がかかったようであったがかえって涼しく、そう、そしてここは避暑地である。確かに夏であるから暑くないとは言わないが、東京のような肌にべとりとまとわりつく重たい空気はあるはずもなく、塩尻駅の改札で僕らを迎えてくれた、彼もまた大学の友人であるが、彼の顔を見るなり涼しい涼しいと東京に住まう二人である。彼は去年乗せてくれた車を買い替えており、せっかくのカーナビも飾りのよう、慣れた田舎道を俺の庭だと言わんばかりに軽快に走らせて僕らを蕎麦屋や温泉、景色のきれいな丘などへ連れて行ってくれた。
東京から僕と一緒に長野へやってきた友人はTであり、長野で僕らを待ってくれていた友人はKである。Tは東京のホテルでコックをしており、相棒の包丁は鍵付きのケースに入れて運ばなければ銃刀法違反になるなどと言って旅行先にまで連れてくる始末。今日も隙あらば自慢の包丁さばきを披露しようと鼻息も荒い。方やKは地元長野の某企業で経理を受け持つ会社員であり、独身寮の寮長である。寮には彼が書いたと思われる張り紙が多数、設備を丁寧に使うことや交通ルールに気を付けることなどを訴えるそれらをどんな顔で掲示したか容易に想像ができる、まめで几帳面な男だ。そして都会のIT企業で生意気な顔をしながら小難しいサービスを売り込む営業マンであるところの僕という三人の、なんと不思議なパーティであることか。同じ学校で過ごした仲間が今はそれぞれの道を歩みながらもこうして時たま集まって笑いあうことが出来るということ、僕はそういう事実にふと胸を打たれて感傷的になる男である。それだけでも長野に来た甲斐があるというものであるがそれに輪をかけてこのロケーションの素晴らしさと心地よい風の涼やかなことと言ったら。まさに長野の期待通りなこと、事あるごとに今僕は長野にいるのだということをしみじみと感じて深く目をつぶるのである。
ここへやってくる前、Kは僕らにどこか行きたい場所のリクエストはあるかとの連絡を寄越したので、僕は蕎麦と酒と温泉、あとお土産、ワインが買いたいなどと雑に要望を渡したのだがKの準備は万端であった。蕎麦屋は雑誌で調べてくれた有名店、露天と言うよりほとんど野外に近い開放的な温泉に、夜は松本市街で長野の味覚を巡る完璧なプランが組まれており、Tと僕はただ車に乗せられるまま、道の端を流れる東京にない自販機の数を数えて嬉しそうにはしゃぐばかり。まったくKには頭が下がる、そして地元を愛しているということに少しうらやましさもあるのが東京出身者ならではの感覚なのかも知れない。
Kはこれまたリクエストに応えて僕らをワイナリーに連れて行ってくれた、長野県はブドウの産地でもある。その地で作ったワインを直売している商店が点在しており、車を運転していたKが遠慮なく試飲してくれと言うのでありがたくチロチロとワインを舐めては料理家のTは何やらうんちくを垂れる。何が良いワインなのかなんてわからないから、とにかくたくさんの種類を舐めてうまいものを買おうと思う、普段はスーパーで買ったペットボトルのワインをうまいうまいと言って飲む僕である。これはちょっと甘い気がする、これは何だかちょっと渋めかな、それくらいのことしかわからない。どんなワインが一般的にうまいワインなのかなんてわからないが、なんだかワインを飲む者としてはそのあたりの作法が何となくでもわかっていなければならないのではないかなんて思いながら、言葉少なに試飲したワインを評する僕の心にあるうまさのバロメーターは浅い運動を繰り返す。
そんな時Tが僕を呼ぶ。絶対に僕が好きな味のものがあると言う。
Tが持っていたのは他よりも一回り細い、なんだか上品な調味料が入ったような形のビンに収まったもの、細かくラベルを見ることもせずに試飲用のカップに注いでみると、色は赤でも白でもない、赤と言うには足りないが、明らかに白ではない、赤みがかった紫色で、透き通ってもいて、そして何だかとろりとした粘性があり、ビンの口から垂れる時の液体の重さが明らかに見て取れる。これは間違いなく他のワインとは違うと見た目でわかるのだが果たして僕が絶対に好きな味とはどういったことか。カップを口につけた途端、一瞬にしてすとんと理解に落ちた。
味はまさに果実の味、ブドウと言うよりもプルーンのような舌にまとわりつく穏やかな酸味があり、そして何よりも本来割って飲むのが正しい酒に間違ってそのまま口をつけてしまったかのような極端な甘みがあった。瞬間僕はTの言葉を理解して、カップを口から離した刹那に「これ買うわ」と宣言(ちなみに2本買った)したのであった。ビンのラベルをよく見てみると「極甘口」なんて、まさに看板通りである。実際試すことは無かったが、きっとかき氷にかけて食べたらおいしいと思う。そのまま飲んだ時の、誤って原液を飲んでしまったかのような甘みに思わず喉がえずくようであった。Tは仲の良い僕の友人であるから知っていた、僕はかなりの甘党である。
買い物を済ませてワイナリーを出る(ちなみにTも1本それを買った)と、Tがしみじみと、結局こういう味が好きってことなんだよね、などと言う。そう言われて僕もはっとする、ワインを飲む者としての作法やらたしなみやら何やらを理解せねばと思う心の幼さよ、僕は甘ったるいワインに心ときめくおこちゃまであることを痛感させられたのであった。Tの言葉を理解した僕も、もう大人ぶってかっこつけるのやめよう、僕らは結局こういうのが好きなんだよなんて、大学に入学した10年前ときっと同じ笑い方である。年を重ねて大人になるなんてことはきっと無いんだなあなんてそういうことを思いながら、夜は松本で酒盛りだ。松本城の雄大なことを心に残して、今夜の一杯目はとても作り方を知っているとは思えない立ち飲み屋のおばちゃんが作った超特濃のハイボールである。楽しい夜の始まりだ。