インターネットの仕事に疲れて帰る電車の中でやはりインターネットをしている時に、NHKの夏休みこども科学電話相談なるラジオ番組の存在を知る。後から調べて分かったことだがどうも夏の風物詩、毎年夏休みの間だけ放送されているらしく、動物や昆虫、天体、科学などの第一人者たちが一堂に会して、未就学児を含む中学生までの子どもの素朴な疑問に回答してくれるという番組だった。便利なもので今ではそういう番組をSNSによって知らない誰かと一緒に楽しむことが出来る。その番組の放送中に聴衆者たちがコメントしたツイッターのツイートがまとめられているページをたまたま見つけて、なるほどこれがなかなか興味深い。その番組は生放送で、質問者の子どもたちとは電話でスタジオとつなぐ。案内役のアナウンサーが子供の名前と年齢を聞いてから質問を受け付け、それに対して回答を持っている先生を指名して、子供でも分かるような柔らかい言葉を使って教えてくれるというのが一連の流れ。楽しむべきポイントはいくつもあって、まずはもちろんなるほどそういうことだったのかという科学的な知見を得るよろこびが一つ、その他にも無邪気な子どもたちの振舞いと、なんとか子どもに納得してもらおうと言葉を選ぶ専門家のおじさんたちの慌てようと優しい語り口のときめき、そして子どもってそういうことが気になるのか、という敏感な感性に触れた時のはっとする気付き。すぐに僕はその番組のとりこになって、夢中でそのツイートの群れを読み漁った。夏休みの間は毎日放送されていることを知り、その日は8月も後半。遡ればもっとバックナンバーがあるはずと見て、インターネットに疲れた頭で夢中になってインターネットを続けるのである。月って冷たいんですか? 世界は朝から始まったんですか? 時計が右回りなのはなぜ? 子どもがそういうことに疑問をもったという事実がたまらなく愛おしくなる。
ツイートを読んでいると時たま5歳とか4歳とか、まだまだ科学的な解説を受け入れるための力が足りないお子さんからの質問もあるらしく、そういうものに限ってちょっと難しい言葉を使って説明しなければならない要素が出てくることがわかってくる。水が丸く集まろうとする力を説明するために表面張力という言葉を使いたいが、それではいけない訳で、そういう質問に悪戦苦闘する専門家のおじさんたちはちょっぴり可愛かったりもするようだ。
後はやはり子どもで、生放送の電話でのやり取りなのでちょっとしたトラブルというか、大人だったらそうはならないだろうという出来事もある。故意の場合も事故の場合もあるが急に電話が切れてしまったり、ご機嫌斜めになって返事をしてくれなくなったり、番組の進行上、大人がすごく慌ててしまうことが起こる時もあることがわかってくる。聞いている人達はそういうアクシデントも含めて子どもらしさ、生放送らしさ、また慌てる大人たちが可愛らしいなんて受け止め方をしていることもわかってきた。
そして僕自身の、この番組の受け止め方もわかってくる。僕はこの番組をきっと聞くことはできない。このツイートのまとめを読んで楽しむのが正しい距離感に違いない。最近この特徴を表す言葉が出てきてわかったのだが、共感性羞恥。第三者が恥ずかしい目に合う場面で、まるで自分の身にそれが起こったかのように感じてしまう感情の動きのことらしい。僕はその番組の予定調和にいかないもどかしさに、子どもの立場にも大人の立場にも、さらに子どものうしろに構えているであろう親の立場にもなってしまって、特に何かアクシデントめいた場面では、文字情報だから可愛らしいなで済んでいるが、感情のこもった音声を聞いてしまったらどうなってしまうのだろうなんて不安になってしまうのであった。どうも昔からその気があるが、そういう性質を表す言葉を見つけてからはさらにそれに拍車がかかったようである。ああ僕は共感性羞恥を感じやすい体質なんだ、なんて思うとさらにその気持ちが敏感になるのを感じる。ある意味僕にとっては、この番組との出会い方はこれで正しかったと言える。
8月も終わり今年も番組は閉幕。僕も毎日の通勤ですっかりこれを読み終わってしまったが何と探せば去年の放送分の記事もあるらしい。音を楽しめないのは少し残念な気持ちももちろんあるが、それでもこれは楽しいコンテンツ。まだまだ夏は終わらない。