停滞する日々、家から出ずに日銭を稼ぐ日常に何か変化をつけたくて、そうだ、アボカドを育てようと思いついた。今年を振り返ると、動きが止まったようだった生活の様々なことが徐々に始動してきた年だったと思う。春に発芽したアボカドは今高さ五十センチほどになった。
情報の受動喫煙が激しい世の中、自ら知りに行こうとしなくても目に耳に入ってくることは知りたくないことばかりなので、テレビも見ないし、webポータルサイトも見ないようにしていたら、すっかり治ったとは聞かないが、外へ遊びに出て行っても別に構わない世の中へ戻ってきたらしい。久しぶりに酒を交わしながら近況を伝え合うなどする機会もあり、また少し世の中の形が変わったような感じもする。
今年始めて、そして辞めたものが二つ。フィットボクシングとヤクルト1000を始めて、そして終わった。前者はやりすぎて肩を痛めて妻から禁止されて以来やっていない。後者は毎日飲まなければならないというプレッシャーに夫婦共々負けてしまった。ただやっていなかったことを試しにやってみるというのはいいなと思う。合わなかったらやめればいいのだ、そういうことにしておくのがいいだろうし、これからもそういう気持ちで何かに着手するのが健康に良いはずだ。
忘れられない一年というのはあって、具体的な西暦の数字と共に思い出がよみがえってくる。今年もそういう一年であったことは間違いなくて、例えば問題を抱えた実家が引き続き問題を抱えていたり、世相や自らの状況によって生活の変化を余儀なくされたり、そういうことは誰にとっても多少はあるはずだが、要はそれを重大なことと思うか否かの違いであると思う。僕はとても重大に思うたちで、過度にそうだと健康に良くないなと思いつつも、あまり気に留めないというのも無神経さの裏返しだと感じる、何事も相応しい程度がある。そういうことを踏まえて来年はどのように過ごすべきか、僕は多少「なるようになる」という精神を身につけた方が良いように思う。そのためには心に太い幹を持つのが良いか、それとも細くしなる枝にするのが良いか、難しい問題である。今年もよく、なんとか、我慢をしつつも、どうにかやってきた。自分を褒めたい。