友人の青ちゃんに最近ブログ更新してないの? と言われてここの存在を思い出した。元々ブログのスタンスとして、単純に日記を晒すというものではなくそのままエッセイ本にしてしまえるようなちょっぴりテーマ性のある話だけを書きたいという気持ちがあって、その為には何かテーマ何かテーマと色々考える訳であるがそれが結構体力を使うし頭も使うしでどうにもこうにもと思っている間にこのブログのことを忘れてしまっていた。
僕には密かに随筆家になってみたいというような野望があり、その為に上の様な感覚でこのブログを書いていた訳だが、随筆家ってどうやったらなれるんだよなんて考えている内に普通のサラリーマンになってしまった。そういうことなのだ。
今は毎日のように自分の業務に対して「僕には向いていないんじゃないか…?」などと考えてしまっているが、まあそれは会社を辞める続けるなんて大きなことには直接関わって来ない全くの別件な訳で、仕事なんてものは向いてる向いてない楽しい楽しくないというようなこととは全然関係なく行うべきものなんじゃないかなんて一年目の分際で考えたりはしているが、実際常勤社員として得られる収入のある暮らしを数カ月でもしてしまうと、それが失われた生活のことを全く想像出来なくなるから要するにつらくても大変でも何とか頑張っていくしかないのである。
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今思うと子供のころに聞かれた『将来の夢は何ですか?』という質問は『将来どういう方法で食っていきたいですか?』という内容に近い。僕は少年時代このような質問に対する答えを持っていたことがなかった、高校後期、及び大学に入ってからはそんなに真剣にではないが文章を書いて金を貰っている職業の人に憧れを抱いたこともあったが、何になりたいから特別に頑張るといったような経験は一切したことがないし、最終的には普通にどこかの会社でありふれた仕事をするのだろうなというように考えていたし、今実際そうなった。
幼稚園のころ先生に将来の夢を聞かれて『カメラマン』と答えたことがある。しかし全くカメラマンになりたいとは思っていなかったし、将来の夢なんて考えたこともなかった。しかしサラリーマンと言ってしまうのはあまりにつまらないという気持ちも恐らくあって、その時考えつく限り最もクリエイティブな職業としてカメラマンが選ばれたのだと思う。なれるもんならなってみたいが、ああいう世界は先人からの修業がつらそうなのできっと僕には無理だしそう考えると全然なりたくなくなった。まあサラリーマンもサラリーマンで大きな修行があるにはあるのだが。僕はどうにも先輩に対して教えを乞うのが苦手で、いわゆる社内営業というやつがどうにもこうにもといった具合である。これはどうにかしたいがどうにかなるのだろうか。
具体的な業種は控えさせて頂くが、僕の業務は営業である。モノを売る、サービスを提案する、顧客との窓口になる、及びそれらの前段階(顧客になりそうな人と探す)、それが僕の仕事である。
僕はあまり口が上手な方ではないのでお客様先でべらべらと喋るのが苦手である。しかしながら意外なことに営業で大事なのは自分が積極的に喋ることよりも、相手に上手く喋らせることなのだということを教わる。僕がなるほどなと思った事の一つは、相手に「(あなたの部署は)何名くらいでお仕事をされているんですか?」と聞き、「●人です」と言われたら「えっ、たった●人でそれだけたくさんの仕事をされてるんですか!? 大変ですね」と言う。すると相手は「そうなんですよ、何が大変かって言うとね…」と自分達が業務を行う上での課題について話してくれる。そうすると相手がどんな場面の何に困っているかがわかるので、要するにそれを解決出来る何かを求めていることがわかる。それがわかれば「弊社のこのサービスをこのように使えば、御社の課題が解決できますよ」といったような具合で押し売りにならないような提案が自然と出来てしまうという訳だ。すごい。営業職というのは言葉をいかに上手く選ぶかという点において最も大きな決定がなされると言っても過言ではない。いっつもべらべら喋っていて口が休まらない人に対して「営業向いてるよ」なんて会話をしたこともあったが、本物の営業職を見てしまうとそんなの全然関係なかったななんて思い返してしまった。
当然1年目の僕がそんな高等テクニックを上手く扱える訳も無く、単純に「ウチにはこんな商材があって、こんな特徴があるんです」というような紹介になってしまうことも多々ある。1番思うのは話と話の間、話題と話題を繋ぐ為の部分を上手く消化出来ないということだ。
何を言っているのかと言うと、例えば『公園に行って友達と遊んでいたが雨が降ってきたので家の中でゲームをした』という話があった時は『雨が降ってきたから』という接着剤があるお陰で『公園』と『ゲーム』がくっついている訳だ。しかしながら雨が降らなかったとしたら『公園で遊んだ』『ゲームをして遊んだ』を繋ぐものがなくなって、完全に話題①と話題②になってしまう。この①と②を繋ぐ話術が僕には足りない。突然話題がぶつっと切れて①から②に移ってしまう。これがなんとも実際に話をする僕からすると歯がゆいことなのである。具体的に言ってしまえば商材①の説明が終わり、商材②の説明に移る際のことである。
基本的には商材について雑に①②③…と紹介していくのではなく、相手の業務内容や現状の課題についてヒアリングしたり、相手の企業が取り扱っている商材について事前に確認した上でウチのサービスが手伝えそうなところはないかな? なんて考えて出した答えを発表したりというような具合に商談は進んでいく訳なので、上の様な場面にはそこまでたくさん出くわす訳ではないが、何を紹介しても刺さらないような担当者が相手の場合はどうしても①②③…な説明になってしまう。本当に相手によりけりだと思う。もう完全に外へ放り出されて自分でとったアポ先に一人で出向いてお話をさせてもらっているが、いい人に出会うこともあればきつい人と話さなければならないこともある。まあ商談以外にも話題から話題に移る時というのはどうすればいいかわからなくなることが大いにある。
で、要するに4コマ漫画の間なのである。4コマで1話、次の4コマで2話というように漫画が進行していく時に、4コマ漫画というのは4つのコマで基本的には一旦切れる訳で、次の4つのコマには別の場面が描かれる。完全に連続していないことが前提のつくりになっている訳で、それのことをものすごく便利な世界だなと思ったりするようになった。
普通の4コマでない漫画の場合、次に描かれる場面が前の場面よりも時間的に少々進んでいたりだとか、場所が変わっていたりだとか、そういう用件があった際、急に青空を描いたコマが用意されていたり、真っ黒いコマを一つ挟んでいたりなんてことがよくあるが、それは時間が経過していますよということを読者に納得させるために必要なコマなのである。時間が経過しているということは至極当たり前のことのクセに、至極当たり前だからなのかも知れないが、はっきりとそれを示す必要があるというか、そこはまったくの無にはどうしても出来ないポイントであって、だから僕も商談の際に①と②の間に何か用意しなくてはと思ってしまって、でも青空やら真っ黒やらのような便利アイテムは実際の会話の場面において用意されているはずもなく、ああどうしていいものやらと考えてしまうのだ。
僕は前々から言っているが4コマ漫画が大好物だ。4コマ漫画というもののその特性として、端から連続性は最大4つのコマまでというのが決まっている世界なのだ。なんて便利な世界なんだ。そんなことを休日の昼間、平日にアマゾンで注文しておいたきららコミックスを読みながら考えていた。どうだろうか。僕は随筆家になれるだろうか。
もうはるか昔のことのように思えるが初任給で家族に廻る寿司を食わせた。
僕が1番好きな寿司ネタは納豆巻きです。
