僕がそういう立場になったらどんな風にふるまうだろう、僕は新卒で入社した会社に勤めて次の春で5年目になるが、その間に他所から転職してきて、社会人としての歴は僕より長いという人が何人かおり、僕はそういう人たちに対してつとめて敬語はいりませんよというスタンスで接することに決めていた。あえてそう決めたわけではないが、いざそういう人と接する機会を持った時に、自然とそうしてほしいなという気持ちがわいてきて、その気持ちの通りに伝えたのであった。最初は遠慮しつつも次第に敬語がとろけていって、呼び方も名前に「君(くん)」を付けてくれるくらいになっていったりして、中には僕をビジネスマンとして認めてくれているのかいつまでも敬語の人もいたりするが、それで何かあるってことも当然ないので、その人にとって心地よい距離感で接してきてくれればいいななどとそういうことを考える。僕はどうも感情を読みにくい顔をしているというか、目があまり大きく見開いていない形をしているので、最初のタイミングを逃したらきっともうずっとだめ、話しかけづらいなと思わせてしまうに決まっている、と思っている。だからこれはあえてそうしようと決めているのだが、初対面の人に対しては必ず愛想よく、体ごと相手の方を向いて、何か気づいたことがあれば力になるという旨のことを言うようにしていた。面倒を見ている新卒の新入社員の女の子からも言われたのだが、最初は僕のことが怖くて話しかけるのも嫌だったそうだ。今ではそんなに警戒すべき相手ではないと思ってくれていることが、最初は怖かったということを僕に打ち明けてくれるということで理解できる。年下に生意気な態度をとられても別に構わないので、新入社員には毎度試しに敬語じゃなくてもいいよなどと言ってみるが、実際に敬語を取り払って接してくれた子はまだいない、そりゃそうかとも思う。
先日、中途入社の彼と一緒に客先へ訪問に出かけた。彼は僕より5歳年上で、この会社で3社目。僕に対しては名前に「さん」を付けて呼び、会話は敬語、決して僕を年下と思った態度を取らず、わからないことがあれば臆せず訊ねてくる、明朗で裏表がなく、物言いは明け透けで、日本から出たことがない人が思い描くアメリカ人のような人だ。元々近い業界にいたので、後は個社固有のノウハウを覚えれば一通りセールスはできるであろうとのことで期待されて入社してきたのが2016年の初夏ごろの話であっただろうか。
ITの業界というのは、他の業界もそうであろうがそれはそれはレイヤーが細かく、それでいてそれぞれのレイヤーがそれぞれの役割だけに責任を持てばうまく重なるようにできていて、それはよく郵便配達に例えられる。便箋の色や形、素材、あるいは手紙の内容などについて一切関与しないままに、送り先の住所さえわかれば郵便配達員は業務を遂行することができる。そういう意味で言うと中途入社の彼は同じIT業界ではあるもののレイヤーの異なる仕事をしていたので、つまり僕らのレイヤーのことを意識せずに業務を行っていたので、わからないことがあるのは当然の話、誰かにその役目を命ぜられたわけではないのだが、しばらくは僕が指導係のような体裁であった。もちろんレイヤー違いではあってもその知識があるのとないのとでは大きく違いがある。第二言語として英語を習得した人は、その学習に用いたノウハウを文法が近い他の言語の学習に役立てられるはずである。
訪問へ向かう道すがら、隣り合って座席についた電車の中で、彼とどんな話をするかといえば、しばらくこの会社で過ごしてみてご機嫌いかがだろうか、ということに決まっている。口下手な僕がこの場にとって自然な話題として思い浮かぶ唯一のことであって、もちろんそのこともあるが、単純に外からやってきた人はこの会社をどのように見るのか興味があったということもある。新卒社員にとって転職ほど未知で遠いものはない。カジュアルに決断できるものでもなければ、一生の内何度も経験することというわけでもない。彼の十年の社会人生活の中で二度の転職をしているというその経験値を、分けてもらえないまでもちょっと覗いてみたい気持ちがあった。
すると彼は以前の会社で受けた理不尽な扱いについて、まるで昨日起こったことのように新鮮な声色で僕に説明をしてくれた。横柄な態度を取る上司と、気難しいクライアント、業務の内容に対する報酬の薄さと反映されない評価について。
言葉に起こしてしまえばありきたりな話のように思えて、まあ他の会社もそんなものなのだなという気持ちになるのは早かった。程度は違えどその手の不満のない会社なんてあるはずもない、僕の興味は車窓を流れるビル群に映る空の青さに向かう。話を聞く前からそういう言葉が返ってくることをわかっていたような気もするのだが、他の具合が知りたいというのは本心であって、きっと百聞は一見に如かず、話を聞くだけでは経験値は溜まらないのであった。
「僕、一度だけ本気で上司にキレちゃったことがあるんですよね、俺こんなの絶対に納得しませんからね!って」
と彼が言うのでそこで話は変わって、彼ならそれくらいのことをしてしまいそうだなという気持ちと、いくら何でもそれはちょっとという気持ちが入り交じり、そしてその台詞から彼がその時どのくらい怒っていたか、どんな声音だったかが伝わってきて、すごい、彼はポテンシャルを秘めている人だと感じた。彼にはキレるポテンシャルがある。
感情には瞬発力があって、瞬間的な爆発の後にすっと引いていくものだと思う。すごくうれしいことが起こって、もろ手を挙げて喜んだ後、感動が次第に小さくなっていくのを感じて、上がった腕が恥ずかしくなり、速やかに平静に戻る。思わず腕を挙げる行為を、熱したヤカンに触れたときのような反射だとして、その瞬間が過ぎた後の、特に身振り手振り、声音、心の内に起こるはずの感情を外へ表現しようとする行いの全部が、その感情を大きく見せようとする演出のように僕は思えてしまう。
思わずやってしまうことってある。カッとなって机をたたくとか、恐怖を感じて泣いてしまうとか、そういう行為は心の内に起こった感情そのものだと思う。でもそれにもきっと程度があって、例えば思わず頭に血が上ったからと言って机に置いてあったハサミで相手を切りつけようとする人って、それは中にはいるんだろうけど、このハサミで切りつけてやろうと思った瞬間、この行為は自分がひどく怒りを感じているということの演出に過ぎないのではないかと思って、静かに姿勢を正すのが人ってやつだと思う。ドラマみたいにそう簡単に殺人事件が起こってはたまらない。程度がある。思わずやってしまうことと、思ってやることとでは大きく違いがある。思わずやってしまおうとすることに対してふと「それはやりすぎでは」と気づいてしまった瞬間に、それは思わずやることではなくなり、その時の感情とは直接関係のない演出になってしまう。僕はその「それはやりすぎでは」を感じやすい質なのかも知れなかった。僕は大声をあげてキレることなんてきっとできない。どんなに腹立たしいことが起こったって、それをあえて身振り手振りや声を使って外部に出力しようとする行為自体がもう演出であって、演出をしようとする自分自身の冷静さに気づいて、すぐに白けてしまう。そういう意味で僕にはポテンシャルがないのだ。
そういう類のポテンシャルが高い人は面白いと思う。その人が演出で感情を表現しているか、思わずそういう表現で感情を表に出してしまっているかなんて、他人がわかるはずもない。何事にも感動が薄く見える人よりも、大げさにおいしいおいしいと言ってご飯を食べる人の方がなんだか賑やかで楽しいと思う。だから僕は彼に憧れる気持ちもあり、そうは言ってもああなってはいけないなと思う気持ちもあった。何事にもバランスが大切なのだ。
そういう意味でポテンシャルが足りない僕が世の中でうまくやっていくためには演出が上手でなければならない。この行為が演出であるか否かなんて他人には伝わらない。だから僕はこんなにも感動しているという気持ちをうまく表現して、演出していかなければならない。よく考えると中途入社の彼に対して何でも聞いてくださいねとするその姿勢自体が演出だ。あえて演出しないと、うまく伝わらないことがたくさんある。うまく伝わらないと、やっていけないことが社会には多すぎる。営業マンなんてものは、とりわけ無形の商材を扱うIT企業にいればなおさらで、僕らはコミュニケーションでお金を稼いでいるような存在である。僕は足りないポテンシャルを補うために、もっと演出が上達するよう努める必要があった。
先日、中途入社の彼と一緒に客先へ訪問に出かけた。彼は僕より5歳年上で、この会社で3社目。僕に対しては名前に「さん」を付けて呼び、会話は敬語、決して僕を年下と思った態度を取らず、わからないことがあれば臆せず訊ねてくる、明朗で裏表がなく、物言いは明け透けで、日本から出たことがない人が思い描くアメリカ人のような人だ。元々近い業界にいたので、後は個社固有のノウハウを覚えれば一通りセールスはできるであろうとのことで期待されて入社してきたのが2016年の初夏ごろの話であっただろうか。
ITの業界というのは、他の業界もそうであろうがそれはそれはレイヤーが細かく、それでいてそれぞれのレイヤーがそれぞれの役割だけに責任を持てばうまく重なるようにできていて、それはよく郵便配達に例えられる。便箋の色や形、素材、あるいは手紙の内容などについて一切関与しないままに、送り先の住所さえわかれば郵便配達員は業務を遂行することができる。そういう意味で言うと中途入社の彼は同じIT業界ではあるもののレイヤーの異なる仕事をしていたので、つまり僕らのレイヤーのことを意識せずに業務を行っていたので、わからないことがあるのは当然の話、誰かにその役目を命ぜられたわけではないのだが、しばらくは僕が指導係のような体裁であった。もちろんレイヤー違いではあってもその知識があるのとないのとでは大きく違いがある。第二言語として英語を習得した人は、その学習に用いたノウハウを文法が近い他の言語の学習に役立てられるはずである。
訪問へ向かう道すがら、隣り合って座席についた電車の中で、彼とどんな話をするかといえば、しばらくこの会社で過ごしてみてご機嫌いかがだろうか、ということに決まっている。口下手な僕がこの場にとって自然な話題として思い浮かぶ唯一のことであって、もちろんそのこともあるが、単純に外からやってきた人はこの会社をどのように見るのか興味があったということもある。新卒社員にとって転職ほど未知で遠いものはない。カジュアルに決断できるものでもなければ、一生の内何度も経験することというわけでもない。彼の十年の社会人生活の中で二度の転職をしているというその経験値を、分けてもらえないまでもちょっと覗いてみたい気持ちがあった。
すると彼は以前の会社で受けた理不尽な扱いについて、まるで昨日起こったことのように新鮮な声色で僕に説明をしてくれた。横柄な態度を取る上司と、気難しいクライアント、業務の内容に対する報酬の薄さと反映されない評価について。
言葉に起こしてしまえばありきたりな話のように思えて、まあ他の会社もそんなものなのだなという気持ちになるのは早かった。程度は違えどその手の不満のない会社なんてあるはずもない、僕の興味は車窓を流れるビル群に映る空の青さに向かう。話を聞く前からそういう言葉が返ってくることをわかっていたような気もするのだが、他の具合が知りたいというのは本心であって、きっと百聞は一見に如かず、話を聞くだけでは経験値は溜まらないのであった。
「僕、一度だけ本気で上司にキレちゃったことがあるんですよね、俺こんなの絶対に納得しませんからね!って」
と彼が言うのでそこで話は変わって、彼ならそれくらいのことをしてしまいそうだなという気持ちと、いくら何でもそれはちょっとという気持ちが入り交じり、そしてその台詞から彼がその時どのくらい怒っていたか、どんな声音だったかが伝わってきて、すごい、彼はポテンシャルを秘めている人だと感じた。彼にはキレるポテンシャルがある。
感情には瞬発力があって、瞬間的な爆発の後にすっと引いていくものだと思う。すごくうれしいことが起こって、もろ手を挙げて喜んだ後、感動が次第に小さくなっていくのを感じて、上がった腕が恥ずかしくなり、速やかに平静に戻る。思わず腕を挙げる行為を、熱したヤカンに触れたときのような反射だとして、その瞬間が過ぎた後の、特に身振り手振り、声音、心の内に起こるはずの感情を外へ表現しようとする行いの全部が、その感情を大きく見せようとする演出のように僕は思えてしまう。
思わずやってしまうことってある。カッとなって机をたたくとか、恐怖を感じて泣いてしまうとか、そういう行為は心の内に起こった感情そのものだと思う。でもそれにもきっと程度があって、例えば思わず頭に血が上ったからと言って机に置いてあったハサミで相手を切りつけようとする人って、それは中にはいるんだろうけど、このハサミで切りつけてやろうと思った瞬間、この行為は自分がひどく怒りを感じているということの演出に過ぎないのではないかと思って、静かに姿勢を正すのが人ってやつだと思う。ドラマみたいにそう簡単に殺人事件が起こってはたまらない。程度がある。思わずやってしまうことと、思ってやることとでは大きく違いがある。思わずやってしまおうとすることに対してふと「それはやりすぎでは」と気づいてしまった瞬間に、それは思わずやることではなくなり、その時の感情とは直接関係のない演出になってしまう。僕はその「それはやりすぎでは」を感じやすい質なのかも知れなかった。僕は大声をあげてキレることなんてきっとできない。どんなに腹立たしいことが起こったって、それをあえて身振り手振りや声を使って外部に出力しようとする行為自体がもう演出であって、演出をしようとする自分自身の冷静さに気づいて、すぐに白けてしまう。そういう意味で僕にはポテンシャルがないのだ。
そういう類のポテンシャルが高い人は面白いと思う。その人が演出で感情を表現しているか、思わずそういう表現で感情を表に出してしまっているかなんて、他人がわかるはずもない。何事にも感動が薄く見える人よりも、大げさにおいしいおいしいと言ってご飯を食べる人の方がなんだか賑やかで楽しいと思う。だから僕は彼に憧れる気持ちもあり、そうは言ってもああなってはいけないなと思う気持ちもあった。何事にもバランスが大切なのだ。
そういう意味でポテンシャルが足りない僕が世の中でうまくやっていくためには演出が上手でなければならない。この行為が演出であるか否かなんて他人には伝わらない。だから僕はこんなにも感動しているという気持ちをうまく表現して、演出していかなければならない。よく考えると中途入社の彼に対して何でも聞いてくださいねとするその姿勢自体が演出だ。あえて演出しないと、うまく伝わらないことがたくさんある。うまく伝わらないと、やっていけないことが社会には多すぎる。営業マンなんてものは、とりわけ無形の商材を扱うIT企業にいればなおさらで、僕らはコミュニケーションでお金を稼いでいるような存在である。僕は足りないポテンシャルを補うために、もっと演出が上達するよう努める必要があった。