2017/01/10

女性におっぱいのサイズを尋ねるようなものの件

 早々に何だがそんなことは無理なのである。恐ろしい話だと思うが世の中には特別親密な仲ではない女性に対してキミっておっぱい何カップなの? なんて平然と言ってのけるタイプの人間がいて、別にそれが羨ましいということではない、僕には無理なことをやっている人がいてすごいなという、それ以上でも以下でもない。無理な理由はいろいろあって、もちろん元々口下手なのに下ネタなんて跳べないハードルをさらに高く重ねるようなものだし、そんなにスケベ心丸出しで日々をこなしている訳でもない。地味にこれが理由として大きいと思うのだが、僕にとって胸のサイズ、特にカップ数が、専門の分野でもなければ自分の場合はどうかと考えることのできるものでもないということ。ここでポイントなのが、単位として「カップ」を用いていることだ。カップがおおよそのサイズを表しているとして、そしてそんなことくらいは一般的にブラジャーを着用しないとされている男子でも知っているとして、そんな男子がこの「カップ」という言葉を使って胸や下着のことを評している会話、文章、文字列が、たまらなく恥ずかしいと僕は感じる。どうか伝わってほしい、ある分野に興味を持って、その分野を代表するものの表層的な知識を得て、まるでその分野に昔から精通しているかのような喋り方をしてしまう人、つまりにわか知識で物事を語ってしまう人、僕にとって女性の胸のサイズを語っている男というのはそういうタイプの人に思えて、例えば百戦錬磨のAV男優やワコールの男性従業員だったら話は別だが、特に専門用語を使うというのは恥ずかしさの極み、カップって、男がカップって、えっもしかしてブラジャーしてるの? と思ってしまう。「ブラジャー」という言葉を使うのもちょっと恥ずかしい、「ブラ」なんて略して表現するのはこなれている感じがしてもっと恥ずかしい。なぜなら僕はブラジャーをしていないし、専門分野でもないからだ。

 僕は知らないことを知ったかぶって喋ることを恥ずかしいと思う。そしてこれはよくない癖だと思うのだが、それを知らないから教えてほしいと人に尋ねることも恥ずかしいと思う。だから必要な知識は独学で身に着けようと思う気質で、仕事をする上で必要だと思った知識は誰かに習う前に自分で調べ、それで身につけた知識に対して誤りを指摘されるようなことがあればその時に修正をするようなことを繰り返していた。2016年の僕は特に独学で知識を入れた年で、それを後輩へ振りまくことで更に自分の糧にしてきた。何もおっぱいの事ばかりではない、僕は自分の知らないことを知ったように喋ることを何より恥ずかしいと感じる。

 僕はIT系の営業マン。エンジニアのように細かいことを知っている必要は必ずしも無いが、そのサービスを買ってもらうからには、どんな仕様のサービスで、どんなふうに役立つか、きちんと説明をしたいと思う。中には表層的なサービスの特徴や機能を知っているだけで、それがどんなシーケンスで動いているか、どんなプロトコルで通信されているか、サーバとどんなやり取りをしてどんなプログラムが動いているか、そういうことはまるで分らない営業マンもいる。僕はそれを恥ずかしいと思って、売っているのに、プロなのにそれを知らないなんて、そんな恥ずかしいことがあっていいはずがないと思って、そしてその点で言えばすごく尊敬していた、とてもたくさんの知識を持っていて後輩から慕われていた先輩社員が辞めてしまって、次に彼のポジションに収まるのは僕だと思って今まで以上に勉強を重ねたのが去年の出来事。結果として身についたのは知識ばかりではなく、僕はきっとこの会社にとって必要な、ある日突然辞めると言い出したら強く引き留めてもらえるような存在になったはずであるという自信だった。それが事実であるかどうかなんてどうでもいい、そう思えるほどに、自分でも感じるほどに僕は能力を蓄えたし、成果も出た年になった。まだまだ分からないことはたくさんあるし、このままでは恥ずかしいという思いも持ち続けている、僕はまだまだ成長していけるはずだと思う。今年は教育係として新人を預かったりしたこともあって、誰かの上に立って仕事をする機会がぐんと増えた。そのことも自分に自信を持たせる要因の一つだったはずだ。

 自信を持った人間はどうなるかと言うと、余裕をこくようになる。これは間違いない。
 緊張しながら出社をしていた新入社員は始業の5分前じゃ遅いだろうか、10分前ではどうかなんて出社時間に悩んだりするものだが、慣れきった先輩社員は5分や10分の遅刻で焦ったりはしない、汗をかきながら駆け込むこともしない、何事もなかったかのようにオフィスにやってきて、何食わぬ顔でパソコンの電源を入れるのだ。別に僕がこういうタイプの先輩社員だと言っている訳ではない、慣れると余裕になるのはふつうのことで、今は自分にしかできない仕事をしていると感じている僕は、会社に対して、上司に対して、少々大きな態度を取るように、いやあえて言い直したい、大きな態度を取れるようになった。これはおかしい、あれは変だ、上長ならこのように振舞うべきだし、そのような指示を与えたい気持ちはわかるがこの件についてはどう思うのだ、その発言は撤回してほしい、あの施策はこの順番で進めなければいけない、それは矛盾している、上司がその仕事に時間を使うべきではない、そういうことを平気で言えるようになった。決して生意気言っている訳ではない、それを正しいことと思って言っている。正しいことだと思うのだが立場的に言えないことがあると思う、それを言えないと思う気持ちが薄れて遠慮がなくなった、そういう僕に腹が立つなら今すぐ指摘してくれて構わない、僕はきっとこの会社でなくてもやっていける、そういう人間に成長出来た自信があるのだから。

 毎年の頭に今年はこんな感じに生きられたらいいなとなんとなく考える。毎年どうしようかなんてちょっとは考える時間を持ったりしたが今年は迷わない。2017年は背水の陣。本来の意味では一歩も退けないとか、絶体絶命の状況で頑張るとかそういうことだが、僕は別にいつ背後の川に落としてもらっても構わない、悠々と川を渡って次の戦場へ行ってみせる、そういう気持ちでやっていきたいと思う。川へ落ちるのは怖くないし、落とせるものなら落としてみろとすら思う。僕には自信がある。自信は知識である。僕は他よりもたくさんのことを知っているし、まだまだ脳の余白を埋めていける。