一年くらい前からやっているツイッターのタイムラインである時「カレーライス投げたい」というポストを見たのだが、確かに投げてみたかった。僕には以前から食べ物をまったく無駄にしてしまいたいと思う気持ちがあった。一体どのようにして遊んでやるのが良いか、実際にやってしまうと自分以外の大人に怒られてしまうのは明白であるので実行には移さないとして、漠然とどのような方法が良いのか思いあぐねていたのだった。そしてその時に見た投げるというのはまさしくそれを成すに相応しい行為のように思われた。
まずカレーライスの状態であるが、これは皿にご飯と共に盛り付けられているものを想像した。次にその投げ方について、これには二つのパターンがあるように思われる。
①皿の底を持ち、カレーライスの面が投げる方向へ向くように力を込めて飛ばす。
②皿の淵を持ち、フリスビーの要領で回転させながら飛ばす。
このカレーライスを投げるという行為において重要なのは、「今まさに食べ物を無駄にしている感」であり、どうすればそれをより大きく感じられるかということに関しては、より大きな力を込める、より大げさな動作で行う、より遠くへ飛ばすなどなど、要は豪快であることだと僕は思う。となれば必然的に投げ方に関して選ぶべきは①であろう。②の投げ方は腕を横に振るが、①は上から肩の力を大きく使って投げる、というより投げつけることができる。力がこもるのは①だ。それに②の方法には大きな欠陥がある。フリスビーのように皿を投げたとしたら、遠心力によってカレーライスが周囲に飛び散ってしまい、カレーライスを投げたというよりももはや皿を投げたという状況になってしまうということである。
であるからして、カレーライスは槍投げの要領で肩を使って投げるのがベターである。できれば冷や飯の上に若干時間がたって固まってきたカレーをかけたものが望ましい。投げるのはあくまでカレーライスであり、皿ではないのだ。
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という訳で僕もカレーライスが投げてみたかった。もしかするとこの食べ物を無駄にしたい欲というのは、男共が抱く「制服を着た女と関係を持つという行為の禁断を破っている感覚に興奮する」という思いに似ているのかも知れない。これは決まり事を破るという意味で、破壊活動の一つ。壊してよいものを壊すことに魅力はない、壊してはいけないものを壊すからこそぞくぞくとするのだ。
思えば僕は障子をよく破る子供だった。子供であるのをいいことに、祖父母の家を訪ねたときにはためらいもせず障子紙に指を突っ込んだ。無事であるものを壊すというのはなかなかに気持ちがよい。やってはいけないことなのでやらないが、携帯電話を握りしめて窓へ向かって思い切り投げるなどしたらきっと愉快だろうし、子供が作った雪だるまを蹴り壊すなどすればきっと腹を抱えて笑うだろう。食べ物を投げたい欲というのは、こういう類の破壊欲の一種であると考える。子供がよくものを壊すのはこの破壊欲に純粋というか、反社会的な行動に対してのブレーキがまだ甘いせいなのだろう。
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先日妹と「投げて一番遠くへ飛ぶ食べ物は何か」という話をした。僕は柿だと言い、妹はバナナだと言った。二人とも偶然果物を答えたことには何か血縁を感じないでもないが、バナナなど正直柿の相手ではない。
僕が柿を選んだポイントは
①硬い
②丸い
③握りやすい
の三点である。まずは硬さに関してだが、投げる時に加わる力に形状を崩されない程度の硬さ、つまり投げても壊れないという条件のためである。次に丸さ、これはやはり空気抵抗を受け流すためには球体が良いであろうということ。最後に握りやすさ、これは投げやすさと言い換えても良い。この点から言えば柿の大きさはなんと投げることに適したものであるか。
結局この件は柿が一番であるということで決着がついたのだが、しかし食べ物を投げるという場合、この場合の食べ物というのは、調理されたものである方が良いのではないかと思い当った。カレーライスと柿では、どちらの方がより食べ物を無駄にした感があるかと言えば、それはどう考えてもカレーライスだ。柿なら適当に地面へぼとっと落ちて、地面が硬ければ軽く身が崩れてそこまでだ。しかしカレーライスを投げた場合はそれとは比べ物にならない事態になる。食べ物を無駄にするということの基本は、食べ物を食べられない状態にするということだ。投げ飛ばした柿は、きっとまだ食べることができる。しかしカレーライスはどうだ、これはもう食べるとかどうとかの前に、ゴミと化している。ここに僕は食べ物を投げるという行為の神髄を見た。そういう意味ではきっとパンもだめだ。アンパンなど真ん丸のものは投げやすいだろうが、投げた後の確かに無駄になった感が足りない、形状の崩壊度合が足りない。
僕はやはりカレーライスが投げたい。どう考えても投げるならカレーライスだ。あの目に痛い黄色が地面へ飛び散るさまを思うと、なんとも言えずわくわくする。いや、正確には誰かが投げているのを見たい。僕は怒られたくない。誰か投げて。僕の前で投げて。
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こういうリュックを普段背負っている。同じリュックを背負った幼稚園くらいの子供とコンビニで会った。
