2012/02/07

未成年の頃から知っている友人が酒やタバコの話をしていたので「あいつら大人になったなあ」と思ったということが実は他人の思い出泥棒だった件

先日何のはずみか急に高校時代の友人達三人で飲みに行くことになった。僕は誘いを受けたときには「いいね! 行こう行こう!」となるのに、いざ約束の時間が近づいてくると「行くのめんどくせえー」となる、その上行ってみたら行ってみたで「いやー楽しかったね!」なんて思ったりするかなり面倒な性格であって、この日もなかなか楽しんでうっかり終電を逃してしまう。ただ飲んでいた場所が自宅から一駅しか離れていない駅だったので、帰れない友人をマックに残し徒歩で帰宅することに。その節はすまんかった。

夜の住宅街を歩くのが怖い。情けない話。街道沿いは結構深夜でも車が走っていたりコンビニがあったり街頭がたくさんあったりとなかなかに明るいのでいくらかいいが、住宅街というのはもうその土地自体がしんと寝入っているような。それは深夜二時ごろたったのだが、当然のように人っ子一人いない、いやむしろこんなところで人に遭遇したりしてしまうと、それが深夜だというだけで「刺されるかもしれん!」みたいなことを思ってしまうので誰とも会いたくない。ベルトホールにひっかけた鍵が動くたびチャリチャリと鳴るのでそれを手で押さえつけながら、半ば走るような速さで家を目指す。
途中道を挟んで反対側の歩道をふらふらと歩いている男がいたので「あいつもしや誰でもいいから次に会った人間を刺し殺すとか考えちゃいないだろうな」みたいなことを瞬時に考えてしまう自分が相当情けない。実際すれ違う時は、こちら側の歩道に突然走りこんでこないか不安で心臓がバクバク、何事もなくすれ違ってからも「後ろから狙われるかも・・・」と思いながら何度も後ろを振り返る。そういう馬鹿なことをやって、その先に見つけた新聞屋の灯りでほっと一息。そこから先はもう完全に走りながら家まで逃げ帰った。





帰宅後はシャワーを浴びてすぐに寝床へ。眠たかったので久々の友人達のことを思い浮かべることもなく、すぐに眠りについた。
翌日昼ごろ目覚めると、家族の食卓には昼食が並んでいる。その日は日曜日だったので、家族が勢ぞろいしていた。母は「昨日遅かったでしょ、何時ごろ帰ってきたの?」と決まったようなことを聞き、僕は実際二時半ごろ帰ってきたが「二時くらいだよ」となぜか微妙な嘘をついた。まあ僕も成人を過ぎてそれなりに時間が経ったので、帰宅が遅いようなことで咎められることもない。「久しぶりに○○君たちと会ったんでしょ、どうだった?」のような質問に自然と変わっていき、僕も「別に変ってなかったよ」とそれくらいのものである。
友人らは実際、どこが変わった風でもなかった。ほんとうにあのまま、最後に会った時のままだ。まだまだ顔が変わるほど老けかえるような年齢ではないから、会っても感動するほどでもない。ただ「よう」と言い交わしてそのまま、ただ近況の話、高校時代の話、互いの趣味の話、そういう特別でもなんでもない話をして楽しんだ。僕は久々に友人らを「お前ら」と呼べる感覚にちょっと感動はしていて、大学ではもっと丁寧に友人と接していたような気がするから、そういう雑に付き合えていた仲間の居心地の良さみたいなものは少し懐かしいような感じもした。間違ってもそれによって友情度みたいなものに差が生まれる訳ではないが、高校時代のテンションが、少年期に読んでいた漫画に大人になってから興奮するように思い出されて、心地よかったのである。

高校時代と今の違いと言えば、話の最中に酒を飲んだりタバコを吸ったりするようになったことである。僕は喫煙者ではないが、その友人らの中に一人吸うやつがいた。酒はみんな強い方ではないが、程よく酔いながらガハハと話を進めるのも楽しいものである。
それでふと僕はその飲み会の席で「未成年の頃から知ってるやつらがさあ、酒の話とかしてると『こいつらも大人になったんだなあ』って思ったりしない? 自分も同い年のくせにさ」のようなことを言った。すると喫煙者が「ああわかる、俺も友達とタバコ吸ったりしてると『お前もタバコ吸うようになったんだな』とか思ったりするもん」のようなことを言い、なんか変な感じだよなーハハハのようにそれはそれで流れて、ところでさあとまた違う方面に話のタネが生まれていった。要は、自分だって同じだけ歳を取っているはずなのに、友人らの成長ばかりが目についてしまうということだ。自分を客観視して「成長したなあ」と思うよりは、やはり他人のそれの方が目立って見えるものなのである。





家族の食卓で一人そのようなことを思い出していたのだが、冷静になってみると「あれ」と思うことがあった。その「同い年の友人を『大人になったなあ』と思ってしまう」という感覚が、どうも昨日初めて思ったことではないような気がしたのである。というより、それは僕自身が生み出した感覚ではないんじゃないかと思ったのだ。
なんて考え始めるとすぐに思い当るものがあり、そういえば数年前にテレビか何かで、少年時代から友人関係だった二人でコンビを組んでいるお笑い芸人が同じようなことを言っていたような気がする。
もしかすると僕はその感覚を頭のどこかに残していて、実際に同じような状況に遭遇したときに「あっ、このことかな」という風に他人の感覚をまるで自分の感覚のように思い出してしまったのかも知れない。つまり僕は、知らぬ間にどこの誰とも思い出せない人間の感覚を追体験してしまっていたのだ。「自分と同い年なのに他人の成長ばかり目についてしまう」という感覚が非常に面白い感覚であるだけに、悔しいと同時に申し訳ない、オリジナルじゃないのにあたかも自分の意見のように語ってしまって本当にごめんなさい、どこの誰とはまったく思い出せないが、今もあなたが芸能界で活躍しておられることを切に願ってやみません、と僕はそのことを理解してから非常にやきもきしている。
だがしかしその感覚を抱いたのがそのお笑い芸人の方(かた)が最初であると証明することは可能であるか? のようなことを考えだすと得意の屁理屈話に発展するのでここまでである。とりあえず明らかなのは、僕自身は思わず他人の思い出泥棒をしてしまったということだ。悔しい。こうなったら僕も誰かに思い出泥棒をされたいものだ。こればっかりは盗まれた方が鼻が高いのでは? なんて思ったりする。オリジナルには価値がある。でも「これは僕のオリジナルです!」って主張しても、それが本当に事実かどうか、過去に同じものを作っている人がいないかどうか、証明する術がないよね、みたいなことをどうしても考えてしまう。もうそんなことはしょうがないので、みんなある程度は妥協して生きて行こうね。なんだそりゃ。






何ジャックダニエルって・・・お前らちょっと大人過ぎない・・・?