何気なく、ふとそのタイミングだと思って使った言葉が本当にそのシチュエーションに対して相応しい意味を持っているのかどうか、自信がなくなってきて、グーグルに聞いてみるということがよくあると思う。つまりまったくそういうことで僕は強迫観念という言葉の指す意味、表れる症状、罹りやすい性格などを確認して、まさに僕が抱えている気持ちというのはそれ、それに違いないということがわかったのであった。
強迫観念とはつまり柔らかく説明をすると、ある事柄が自らに与える影響、ないしは自らが他人へ与えてしまう影響に強く恐怖を感じて、それを遠ざけようと一見無意味に見える行為を繰り返し行わなければ気が済まなくなってしまったり、その恐怖への不安で頭がいっぱいになってしまうという神経障害の一つである。例えばちょっと外出をするたびに手が穢れたと感じて何度も手を洗いに行ってしまうことであるとか、ガスの元栓を締めたかどうかが気になって何度も確認に戻ってしまうとか、そういうどうしても気になって気になって仕方がない気持ちとか、そしてそれを解消しようとするために行う一連の動作がそれにあたる。
僕が抱えているそういうアレにはいくつか種類があって、まず一つは忘れものへの恐怖。特に忘れてはいけないものは買い物へ行こうとする時の財布。僕はこれからスーパーマーケットへ行って洗剤やティッシュ、暮らしに必要な物を買おうとしているとして、レジへ並び、僕のかごに店員が手をつけ始めたその時に財布を持っていないことに気付いたというシチュエーション、これは相当まずい。
今までの人生でそんなことは一度たりともなかった、なぜなら僕はレジへ並ぶ前に鞄の内ポケットに財布が入っていることを必ず確認していたからだ。つまり僕は財布を持たずに買い物へ来てしまうことへの恐怖を常に感じているからそれを回避していられるのだ、こんなこと、両親に財布を買ってもらい、お小遣いをもらって自分のお金で買い物をするようになってからずっと考え続けて大人になってしまった。例えば携帯電話はいいだろう、どうしても携帯電話が無ければ困ることというのはそんなに多くはない気がする、いつ誰から連絡がくるかわからないのにすぐリプライができない状況になってしまうのはそれなりに恐怖がある(これも強迫観念っぽい)が、お金を出さなければいけないという場面になってそれを持ち合わせていないのは相当な迷惑をかける、店員にも、僕の後ろに並ぶ客にもだ、そんなこと想像するだけでも身の毛がよだつ。実際与えてもいない加害意識に恐怖を感じるのもソレの典型的な症状の一つだとウィキペディアは言う。
それに近いところで言えば遅刻への恐怖もそうだ。遅刻は最悪だ。遅刻するということは、必ず定刻があるということ、それに間に合わなかったということである。定刻があるということはその時間から何かが始まるということ、その時間に始めなければ都合が悪いことがあるとか、僕ではない他の誰かもその時間から用事があるとか。それに間に合わない、つまり誰かに迷惑をかける、遅れた理由は何だ、寝坊? そんなの死んで詫びる他に何か許してもらう方法があるだろうか。僕は大学の一限の講義がある日には必ず一時間前には学校へやって来て清掃員と二人きりの教室の空気を味わった。会社に属した今でも始業の三十分前には業務を開始している。そんなこと、遅刻の恐怖に比べたら何でもないことだ。
僕は昔から翌日何か重大なことがある日の前日というのは決まって眠れない質であって、センター試験の前夜、入社試験最終面接の前夜、初めてのデートの前夜だってそうだ。定刻がある、遅れたら良くないことが起こる、これが安心して眠れる状況かどうか僕は聞きたい。財布を忘れてレジに並ぶことなんか比にならないくらい恐ろしい。僕は目覚めが素晴らしく良い方で、アイフォンが朝を報せる二分前に目が覚めるなんてざら、電子音に起こされたとしても例えば五秒も高い音のアラームが鳴ろうものなら隣人に迷惑がかかるという恐怖で、あえて言うなら二秒、二秒でアラームを止めることが出来る。
あとこれが最大の恐怖だと思うのだが、僕は何より今僕の近くにいてくれる人が僕に興味を無くして離れて行ってしまうことが何よりも怖い。わかりやすいところで言えば、僕が醜いから嫌い、そんなこと簡単に起こってしまうのではないかと思って、例えば僕はどんなに激務の一週間であったとしても土曜日の早朝に起きて必ずランニングをする。どんなに腹が減っていてもカロリーと原材料と成分の欄を必ず読む。色合いと形のバランスを考えて清潔なファッションを心がける。人と話す用事の前には臭いの強い食べものは食べない、可能であれば歯を磨く。そういうことに人一倍気を遣ってきた。それは嫌われる恐怖を拭いさる為の努力であって、そういうことを行うことによって、僕は最低限の努力をしている、嫌われるネタは作っていないはずという気持ちから精神衛生を保とうとしている。ナルシストは鏡をよく見ると言うが、自分に自信がないヤツだって鏡をよく見るはずだ、少しでもマシに見えるための努力、もとい頼むから嫌わないでほしいという恐怖から。どうしたものか僕は両親から汗っかきのDNAを受け継いでしまった、汗は最悪で、臭って、べたついて、塩を吹く。出来ることなら僕は全身の汗腺を尿道につないで極度の頻尿患者になってしまいたいと思う。汗をかいたら近付かないでほしい、そんなの気にしないよとばかりに汗まみれの僕に話しかけてくれる人がいる、でも汗をかいたらどうか僕を放っておいて欲しいと思うことがある、そういう不安に、汗をかいていない時から苛まれている。夏が怖い、いや夏よりも冬が怖い、だって夏に汗をかくのは普通のことだが、冬に汗をかくって、そんなの普通じゃないからだ。
患者と呼ばれる人はつまりこういうことが気になって気になって生活に支障が出てしまう人のことだと思うので、言い方の問題だとは思いたくないが僕は単に神経質な性格ということになるのだと思う。でもまさにこの強迫観念という言葉、この言葉の持っている意味があまりにも僕の本質を捉えているような気がして、変な話、しっくりときてどことなく安心したと言うか、腑に落ちたと言うか、そういうことを思ったのであった。思い起こせば中学生、春の自己紹介の場面で、可愛いなと思った女の子の名前を覚えていて、どういう訳か自分の番が回って来て名前を言う際に彼女の名前を言ってしまったらどうしようという謎の恐怖で異様な緊張をして言葉が出なくなってしまったことがある。それって今考えると常軌を逸した行動をしてしまうことへの恐怖、典型的な強迫観念の症状であって、僕ってば昔からなかなかに素質があったのだなと感じた。そして今日は日曜日、明けて月曜日は仕事なので、いつものようにアイフォンのアラームを五分おきに三つセットして眠りにつく。