2016/06/12

命の引き継ぎについて考える件

 例えば僕の面長な輪郭は父からもらったもので、極めて細く柔らかい猫っ毛は母からもらったものだ。思えば父の顔をまじまじと見たことがなくて、今日は僕が実家へ帰ったこともあり、最近よく両親と妹の三人で通っているという群馬の温泉まで足を伸ばして、ついでに近くの祖父母宅へ行き、孫らの顔を見せて来ようという話になって、浴場で父の顔をしかと見た、それは強い近眼である父が眼鏡を外して浴場へ来ていたからで、また同じくこれも父からもらった近眼の僕は眼鏡をかけたまま浴場へ入ったものだから、僕が父の顔に目線を合わせていることに父は気付かないのではないかと思い、露天風呂から見える緑の方へぼやりとした目線を投げる父の横顔を、試しに見つめてみたのであった。面長な輪郭は確かに父からもらったもので、軟骨が出っ張った高い鼻も父から、一重のまぶたも父から、上下に広い眉も父からであることがわかって、父は何となく掴みどころがないと言うか、他人と距離を取りたがる、もとい距離の測り方が不自由な人のように思っていて、学生時分、いや今もだが、あまり父と腹を割って話をしたという記憶がなかった。顔を見て話すということもそもそもあまりなくて、実家を出てしばらく経つということもあり、ああ父さんはそんな顔をしていたのだなと今日は思った、そして僕は確かに父の子であると強く感じたのであった。

 母という人はこれもまた困った人種で、大きく分類するとすれば父はネガで母はポジの人であるが、どちらも人付き合いに不自由だということには変わりなく、僕は母に対しては真っ向からそれは違うという意見を、随分幼いころから露わにしていたと思う。思い込みの激しい人で、また自分の中に自分の法律がある人でもあって、それによらない人のことを強く批判するし、絶対に法律を曲げなかったから、つまり酷く排他的、しかも従っている法律が、随分田舎気質で前時代的だったので、東北の田舎から大事に持ってきた本人の辞書には無い言葉で言うところのママ友なんてものはついぞいなかったものと思う。だから僕は母の顔を見て、それは違うと言うことがよくあった。髪質は確かに母からであるが、母からは例えばAB型の血液であるとか、汗っかきな体質であるとか、見た目以外のものをよくもらったような気がする。

 温泉に向かい家を出て少ししたところ、車ならすぐだが歩くのは億劫な距離といった具合の地点で母が忘れものに気付いて、それはプリントアウトした紙。それを持って行くと入浴料と食事が割引になるというものらしくて、あっあの紙忘れたと母が言うものだから、父はそれを責めることもなく、それじゃあ戻る? と聞いて、母はうんと言った。父の物の言い方、誰かを責めることを言わない優しさがあるという訳では無いように聞こえて、興味が無いと言うか、そのことに対して感情が動かないかのような、母を許したというかそもそも何とも思っていない、父は昔からそんな物の言い方をする人だった。父が感情を込めて、少なくとも込めたように見えて、何かを主張した場面に出くわしたことがあっただろうか。逆に母は感情を込めずに物を言うことが全く出来ない人で、これは母の困ったところなのだがこの人は絶対に謝ることをしない。僕は母がごめんとか、悪かったとか、そういう意味のことを言って自分の非を認める場面にも同じく立ち会ったことがなかった。今日の母は、私がタオルとか持ち物を全て準備してお父さんは全部私任せにしたしあの紙もテーブルの上に置いておいたのに何で気付いてくれないの、とそういうことを言って、そして父は、えーお父さんが悪いの? なんて例の言い方で、つまり母が父に責任を押し付けようとしたことに対して何とも思っていないかのような口調で、僕はその光景が何とも不気味だった。僕は昔からどちらかと言えば父派で、母の方が困った人、父は常識のある人と思っていたから、今回も母の物言いはあんまりだと思った。もう少し先を歩けば、例えば父はどうして母と結婚したのだろうなんて、そんなことを思わせる出来ごとが随分昔からあった。なんと妹だって僕と同じことを思うことがあったと言う。

 このようなことについて、父は母の夫であるということに気付いてから、そういうことなのかな、なんて僕の心は落ち着くようになってきて、夫は妻のことが好き、だから許す、そもそも気を荒げることもない。そうだとしたら、そういうことなのかななんて思う。まずは僕が母に対して抱いている、人間として尊敬出来ない部分を取り払う必要があって、つまりうんと平たく陳腐な表現をするならば恋は盲目なのかななんて、父は母のそういうところにうまく目をつぶることが出来て、だから今このようなことになっているのかななんて、でもそうだとしか思えないほどに僕は母のことを尊敬していなかったし、仮に愛妻という言葉を使ったとしても、だらしなく太って化粧の仕方も忘れたようなおばさんなのである。でも例えば僕が同じように、恋人が妻になって、仮に妻が僕を責めたら、僕はいとも簡単に許す、怒りもしないのではないか、いやそうであるに違いない、なんてことも思って、腑に落ちる、というところまでは行かなくとも、そういうことなのかも知れないなというくらいの納得はあった。

 そんなことを考えて、祖父母の家へ行くと、祖母は近頃の身体の不調を早口で説明し、昔からそういうことをよく言う人であるが自分が死んだらとか、死んだ後はどうなるだとか、自らの死を前提にした、それをほのめかすような喋り方が多くて、孫である僕はどんな顔をすればよいのかわからなくなってしまうことがよくあった。今日は終末医療の現場を取材したテレビのドキュメンタリー番組でこんなことを言っていたとか、わざわざそんなことを思い出して喋っていたが、ナイフで傷をつけたような凹凸の少ない一重まぶたも、幅の広い眉もこの家のものだということを僕は強く感じていて、恐らくこの人は間もなく亡くなって、そして僕は新しい命を作っていくのだなという気がしていた。どこかの特徴を受け継いだ、この家の子供が、例えば両親の間に生まれた僕のように、そんな気持ちから、未来への希望、そんなに大それたものではなく、そういうことになっていくのかも知れないなという道筋めいたもの、それをなぞっていくのだろうという予想、そんなものが心の中にあった。しかしながらそのすぐ後。祖父は身体こそ健康であるものの、事実と異なる事象を信じ込んで困った言動をするようになってしまって久しく、そのような老人の世話をしてくれる施設に入っていて、祖母は、あの人がもっと稼いでいてくれたら私ももっとゆっくり穏やかな人生が送れたのかななんてぽつり、そんなことも話したものだから、死を前にした老人の、おそらくあったと思われる愛と、財のバランス、その価値の感じ方のことで、一気に僕は頭がいっぱいになってしまって、僕はつい先日二十六歳になって、漠然と大人である時間のろうそくを消費しているようなことを思ってしまって、そしてその火が今まさに風を受けてめらめらと、姿を大きく見せているような気がしてきてしまって、筆舌に尽くしがたい、短い時間の中で悲喜交々の感傷の波に心をやられてしまった後は、ただただ夕飯の献立のことを考えるだけのモノになってしまったのであった。