2016/07/24

ある水曜日のポエムの件

 別にそれ自体は何てことない話で、先日の飲み会で僕はちっとも喋らず、張り切って言葉を放つメンバーの興味が僕に向いた時にだけ一言二言返し、特別好きでもないビールを飲む、もといグラスを口に運ぶという動作によって喋っていない時間に理由を持たせるはたらきを続けていた。飲み会に行く時というのはそんなことが多くて、僕というやつはどういう条件が整えば舌がぐりぐり回るのか未だにわからない。苦手なシチュエーションだけは結構わかって、声を張り上げないと言葉が通らない騒がしい居酒屋で、通らないから隣の人とだけ会話をすることになってしまうような、だからその人が主張の強い人であるならばまだしも、そうでない時の時間の流れはそれはそれは穏やかで緩やかで、永遠のようにも思える、そんなのは典型的な例なのだがその日左は壁だった。右は今回の主役、つい先日中途入社し我が部署へ配属になった男性社員。その隣が本部長であって、彼は本部長との会話に花を咲かせていたようで、僕はただ店の奥、きつく結ったような綱で柱を覆っている、その装飾に注目をしていて、これはよくやるのだが、建物の造りとか、壁の模様とか、照明の形とか、そういうものに興味があって目線があらぬ方角を向いている、それを同伴者に何を見てるのと聞かれることがよくある。そういうことをしていて、時間は過ぎていった。水曜日というのは特別な日。この日は残業をせぬよう会社が取り決めた日。恋人と待ち合わせている日。この日はつまり仕事があっても帰って良い日なのであって、他の曜日は走って終電にかけ込むような業務状況であったとしてもこの日だけは自由の身ということになっていて、だから僕は水曜日をとても大切に思っているのだが、歓迎会だの送別会だの忘年会だの飲み会に出席すべきメンバー全員が集まりやすい日というのも水曜日なのである。どうでもよい会ならなるべく断るが、同じ部署に入った中途社員の歓迎会に欠席出来るだろうか。

 彼は今年三十歳。二回目の転職。既婚者。明るく積極的な性格に思える。今は僕の隣の席に座っている。入社初日にわかったのだが、徹底的に善でありそれを悪気無く強く主張する性質が為に他人から距離を取られてしまうタイプであった。太陽の日差しは気持ち良いが、程度があるという話。汗が額を伝って目に入ってしまいそうになる。
 今年で二十六の僕からすれば社会人歴は丁度倍の先輩、ただしこの業界の歴は僕の方が長い。彼に我が社の業務内容やサービスの仕様、また業務支援用に使われている社内ツールの使い方などを教えるのは僕の役目になった。そしてこれはタイミングの話、今年僕は新人の女子社員を一人預かっていて、社内ではメンターと呼ばれているが、要は彼女の教育係になっているのである。新人は行動量で評価をされる。一件でも多くテレアポをし、一件でも多く訪問をすることを課せられている。そして彼女らがアポを取得したらどうなるかと言うと、メンターが同席してフォローを行う。僕の勤める会社の営業スタンス、出来あがったプロダクトをいかに魅力的に見せて売り込むかというものではなく、クライアントの課題をヒアリングし、それを解決出来る手法を提案、その手法の中に自前のプロダクトが含まれているという形。提案営業である。よって自分達の製品の特徴を良く覚えて話せれば良いというものでなく、上手く先方の課題感、何に工数を取られているかとか、どんな数字を改善したいと思っているかとか、実は他のやり方の方が良いはずのことがまかり通っている恐れはないかとか、そういうことを聞いて聞いて聞いて、持って帰って来なければならない。それはやはり新人には難しいらしく、メンターとしてもただヒアリングを徹底しろと言うだけでは乱暴で、先輩社員はこんなことをお客様に質問していた、私もそのように努めなければ、という見本を見せてあげなければならない。つまり今の新人とは完全に二人三脚。そしてそこに中途が突然降って来る。課長からは明確に彼の指導係をせよとは命じられていないが、彼の隣の席であるという由縁もあり、事実上その枠におさまってしまっている。彼が前職のつてで獲得した訪問機会に同席をするのも自然と僕の役目になり、課長始めマネージャー陣は気付いているかわからないが、僕は今自分の仕事よりもフォローの仕事で手いっぱいになってしまっている。予定表に訪問の予定が次々追加されていくが、自分の仕事はごく少数であった。
 頼られるのは嬉しくありがたいことで、新人以外にも去年新人だった者やその前の年に新人だった者も同じ部署にはいて、彼らは気軽に僕に話しかけてくれる。そうすると僕も張り切って答えてあげたくなるし、答えに詰まらないように勉強しようという気にもなる。僕はしばらく自分の上が課長という部署におり、頼れる先輩と同じ部署だったという経験に乏しい、だから自分の後輩にはうんと優しく接してあげたくて、だからこのような境遇に不満はないが、どうも最近身体が思うように動かない。栄養ドリンクの味に詳しくなる。僕だって誰かに甘えたくて、だからぬるいビールで腹を満たす水曜日は憂鬱であった。

 彼の意外な話を聞いた。彼は結婚して半年あまり、奥様とは街コンで出会い、それから一年待たずして夫婦になったとのことだった。意外と思ったがそれは一般的な話、彼の性質とか外見から受けるイメージとか、そういうものと照らし合わせて考えてみると、なんだか彼らしい気もした。酒に酔ったのか彼は調子が良くなって、僕に、まだ早い、まだ早いですよ、早まっちゃダメですよ、などと言う。これもかなりよくある話で、年上の既婚者というのは年下の独身者に対してまだまだ遊べる、結婚したら終わりなどと言いたい生き物なのだ。これには正面に座っていた部長も同意。自分は三十三まで粘ったと言う。結婚を切りだしたのも奥様とのこと。同棲をする前の時分、そろそろ引っ越そうかなと言うと、私は? なんて言われて、仕方なく一緒に住み始めたと言う。何だか男性本位の考え方だと思う。いい格好をしようとしている訳ではないが、男性が男性本位の振舞いをしている時、どうしてそんなに自分に自信があるのかしらという気持ちになる。仕方なく同棲しただなんて、僕が女性なら悲しい。結婚を粘っただなんて、その間未来の奥様はどんな気持ちだったのだろう。なんて思いながら、ビールは嫌いではないが、たくさん飲みたいものではない。これは退屈な話、退屈なシチュエーションで、そして良かれと思って照らす太陽が眩しく、僕は相変わらず彼の教育担当を務めていかねばならないのだなという気持ちから、乾いた笑いが漏れていくその時に、僕の二つ下の後輩が僕と席を代わりたいと言うので、それに応じると今度の席には新人の女性社員二人と若く作った先輩社員が高い笑いを響かせて、社内の誰の面が好みか、最近の俳優の面はどうだという話、僕の顔はしょうゆ顔とのことだった。しょうゆ顔がどんな顔かわからなかった。

 店を出たのが十一時ごろ、一人になったのがその三十分後くらいだと思う。ツイッターを見ているとどこかで見たようなポエム。ここでは揶揄としてポエムという表現を使っている。自分がどんなにつらい思いをしているか発信したいが為に用意された、そういう類のものが目に入って、素直にやられてしまった。その日見たものは、ごはんが用意されていて当たり前、洗濯されていて当たり前、清潔な住まいに暮らせて当たり前、風呂が沸かしてあって当たり前、私はあなたのお母さんじゃない、という感じの、妻から夫への不満と本音を綴ったもの。これがまさにポエムと言わんばかりに、音を整え、字数を調整し、儚げで、主張は薄く、まんまと「可哀そうだ」と思わせてしまえるような文章で、それを読んだ時僕は、こんなこと書かれたら可哀そうと思ってしまうじゃないか、こんなのずるい、と思った。例えばこれが夫目線だったらどうだ、得意先にぺこぺこと頭を下げ、長時間の残業にも耐え、きつくあたる上司に不満も言えない日々、でもこれも全て妻子供の為、そんな風に境遇を表現されたら、きっと夫の肩を持つはずである。文学は事実を装飾するためのものだと僕はこの時確信した。こんなもの、全部事実と異なる。劇的な演出を加えている。信憑性に乏しいものだ、だからこそ芸術としての価値があるのだ。妻は夫に内緒で豪華なランチを食べているかも知れないし、寝不足の日は昼寝をしているかも知れない。夫だって家に閉じこもりきりよりも気分が良いかも知れないし、付き合いと言いつつ酒を楽しんでいるかも知れない。そういうところはきっと描かれない。そこは創ろうとしている芸術に対して美しくないところだから、表現されないのだ。だから僕は、だから僕はそういうものは見ると気分が悪くなるし、違う、違うと思ってしまって、そして将来僕の妻が、例えばの話、あのポエムを書いてしまいたいような気持ちにならない為には、僕はどのように振る舞えばよい、どんなことをしてあげればよい、そういうことを考えて電車を降りると、時刻は0時をまわっている。翌朝は中途入社の彼の、太陽のような彼をフォローする為に直行する予定であった。